2014年3月19日水曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 終わりのメッセージ(1章)


終わりのメッセージ

「救いの入り口で」

フィンランドでは、
一年を通じてそれぞれの日に何らかの名前が振り当てられています
(「名前の日」と呼ばれます)。
クリスマス•イブの日がアダムとエバの二人の名前の日になっているのは、
奇妙な窮屈さを感じさせます。
あたかもこれらの名前に割り当てる日が足りなくなったので、
人々が誕生日も名前の日もお祝いする暇がないほど
忙しいクリスマスの前日に、
しかたなく男と女の名前を同じ日に押し込んだような印象さえ受けます。

もちろん、彼らの名前がこの日に選ばれたことには、
さらに深い理由が背景にあります。
なにしろ、人類の祖先にあたる父母の名前が一緒に記されているのですから。
カレンダーも、名前の日のでたらめな羅列ではありません。
そこに登場する一連の名前の大部分は、
私たちが信仰する神聖なキリスト教信仰の内容を伝えるものなのです。

このことは、アダムとエバにも当てはまります。
名前の日に彼らは、
あたかも「救いの入り口」の場所に立っているかのようです。
裸のままで彼らは、
暖かい部屋の中に入れてくれる扉が開くのを待っています。

人類がこのような無力な存在であることは、
私たちにとってはなんとも認めがたい事実です。
たしかに、人間はまったく無力というわけではありません。
すでに最初の人間たちも、色々なことを上手に行うことができました。
しかし一方で、彼らは、神様に対して背を向けて、
不従順な態度を取ることもしてのけたのです。

人類の祖先にあたるこの父母と共に、
私たちは人類の誕生を待ち望み、祈ります。
キリストが来てくださったので、
「新しいアダム」の誕生が可能になりました。
今や私たちは、神様の御言葉によって、
「新しい人」として造られるのです。
この新しい人は、
マリアの子、私たちの救い主イエス様を賛美し、よい行いに励みます。
私たちが、神様に背を向けた一族の末裔なのは確かです。
しかし、私たちは、
救いの果実、主の聖餐(礼拝での聖餐式)を受ける勇気もいただきます。
聖餐を通して、新約の命の木なる十字架を前にして、
聖壇の中央から、私たちの方へと、
罪の赦しの恵みがやってきます。



レイノ ハッシネン 「輝く明日」