人類の誤謬のもたらしたもの(その3)
フィンランドの教会では、同性愛について盛んに議論されてきました。
聖書がきわめて明瞭かつ厳格に
同性愛の性的関係を禁じていることについては、
疑いの余地がありません。
ある人たちは、聖書のメッセージを
「キリスト教的な許し」の名の下に変更しなければならない、
と考えています。
また、同性愛の問題について愛に欠けた言動を取る人たちもいます。
彼らの厳しい言葉は、
自分の同性愛の傾向のゆえに悩み苦しんでいる人々にとっては、
聴くのが辛いものでしょう。
このような「律法の説教」は、
ごく一部の教会員の心にしか触れませんでした。
他の大多数の人々は、
「自分たちは他の人々よりも少しはましな存在だ」、
と思い込んでいますが、
それは大きな間違いです。
聖書が禁じている他のすべての事柄についてと同じことが当てはまります。
私たちはそれぞれ、自分なりの特別な弱さを抱えています。
お酒に溺れる人もいれば、
陰口を叩く傾向をもつ人もいます。
物惜しみするあまり、盗みに近いことをする人もいます。
しかし、私たちは、
自分のもつこれらの傾向を容認するべきではありません。
「酔っぱらいキリスト者教会」、
「脱税キリスト者協会」、
「家庭内暴力キリスト者協会」
などというのは、
「同性愛キリスト者協会」と全く同様に、常軌を逸した団体です。