人類の誤謬のもたらしたもの(その2)
フィンランドでは、パウロの用いた「取り替える」
(25、26節にでてくる動詞、ギリシア語でメタラッソー)という言葉に、
この箇所の解釈の鍵を求める人たちがいます。
それによれば、
この箇所で裁かれているのは、
故意に自分の性的な傾向を変更した同性愛者だけであり、
もともと性的なアイデンティティーが同性愛的である人々に対しては
この箇所は適用されない、
というのです。
このような解釈が見当違いであることは、
パウロが偶像礼拝に関しても
「取り替える」ことについて語っていることからもわかります。
パウロがここで意味しているのは、
異邦人は各々、活ける神様に仕えるのをやめて、
例えばユピテル(古代ローマの宗教の主神)を礼拝するように
故意に態度を変更した、
故意に態度を変更した、
ということではありません。
また、
故意に礼拝の対象を変更した人々だけが
偶像礼拝の罪によって罰せられる、
という意味でもありません。
パウロは、あらゆる同性愛の性的関係を、
結婚以外の異性間の性的関係とまったく同様に、
断固として否定しています。