人類の誤謬のもたらしたもの(その4)
私たちは自分自身の罪を罪として告白し、
それらの罪と戦わなければなりません。
しかし、私たちは一人で戦う必要はありません。
私たちの弱さを知って、
不安定な人々を憐れんでくださる、
不安定な人々を憐れんでくださる、
主イエス様御自身が、
私たちを支えてくださっているからです。
私たちを支えてくださっているからです。
イエス様は私たちを裁くおつもりではありません。
悪いところのある私たちを、
私たちには理解できないほどのたいへんな忍耐をもって、
愛してくださっているのです。
まさにここに、
罪と戦うために必要な実践力の源があります。
罪と戦うために必要な実践力の源があります。
肝要なのは、
自分のした失敗の赦しと、
一からやり直す新たな力とを、
願い求めるために、
私たちがいつも何度でも
イエス様の御許に行くことなのです。
イエス様の御許に行くことなのです。
このようにして、パウロは 、
「自分は案外よい人間かもしれない」、
という誤った人間の自己評価に対して、
最初の打撃を加えることにより、
私たちが自分の抱えている罪の傾向を
正直に認めて告白するようにと、
正直に認めて告白するようにと、
人々を導きました。
このことは、
パウロが伝えた教えの正しさを示す最良の証拠です。
他の人々と同様に、
私たちキリスト信仰者もまた、
私たちキリスト信仰者もまた、
自分に頼っている限りはたんなる罪人であり、
神様の怒りの下にいます。
神様の怒りの下にいます。
だからこそ、
私たちはキリストを必要としているのです。