2014年3月28日金曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 2章1〜11節 律法の救いの道(その2)


律法の救いの道 2111節(その2)



人々がどれほどひどい生き方をしているか、
自分がユダヤ人でなくともわかることです。
世の中がどんどん変わって来ています。
今まで美徳とされ尊敬されてきたことがゴミ箱に放り込まれてしまい、
その代わりに、
最も軽蔑すべきはずのことが最高の徳としてもてはやされている、
と感じている人々もいます。
彼らの指摘は正しいでしょうし、
パウロがこの手紙を書いた当時のユダヤ人も、
彼らと同じような視線を、
異邦人の放縦な行いに対して向けていたことでしょう。
ところが、
ここでパウロは批判の銃口を異邦人以外にも向けます。
他の人々の罪や欠点を見てあげつらっているだけでは不十分なのです。
他の人々の欠点をとがめる人自身にこそ、
神様の御旨に従って生きて行く義務があるからです。
もしそうしないなら、その人は実に変な存在だと言えるでしょう。
なぜなら、その人は、
傍らから他の人々のひどい行いを目にしていながら、
自分自身もまた同じことを、
もっと洗練され落ち着き払ったやり方ではあれ、
行っていることになるからです。
このような、
表面だけ取り繕って、自分が義しいと見せかける態度は、
神様の怒りを招きます。

人間は、他の人々よりも自分のほうがより優れている、
と心のどこかで思う傾向があります。
しかし、実際には、
その人も他の人々と全く同じく罪に塗れた存在なのです。
神様は、こうした偽善的な態度を容認してくださるものでしょうか。
「神様の御前では、人は外面で判断されることがありません」(211節)、
と聖書は教えています。

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