新しいエデン 22章1~5節(その2)
罪の堕落は、
すべての人間にかかわる呪いを意味していました。
この呪いを私たちは日々実感しています。
新世界では呪いの束縛はもはやない、とヨハネは言います。
新世界では、
罪の堕落とその帰結(「創世記」3章17~19節)はもはや効力を持たず、
それゆえ、
今は実在しているこの世の苦痛が、そこでは消えうせてしまっています。
この世では、
人間は神様の御顔を直視することに耐えられません。
モーセはそれを望んだこともありましたが、
神様はこう言われました、
「あなたは私の顔を見ることができません。
なぜなら、
私を見た人間は一人として生きていることができないからです」
(「出エジプト記」33章20節)。
新世界では、
このことも可能になります。
4節は、信じることが見ることにかわる、との約束を与えます。
これが実現するとき、不信仰が人間を悩ませることもなくなります。
「心の清い人は幸いです。
彼らは神様を見ることができるからです」
(「マタイによる福音書」5章8節)、
というイエス様の約束は、新しいエルサレムで成就されます。
5章の冒頭からはじまる大きなひとまとまりの箇所が、
この22章5節で閉じられました。
ヨハネには一群の幻が示されました。
彼は最後に新世界を目にすることもできました。
この間、私たちは
時間の世界から永遠の世界まで駆け抜けてきたことになります。
そして今、「ヨハネの黙示録」の終結部がはじまります。
それは五つに分けられます。