人々の只中にある神様の幕屋 21章22~27節
新しいエルサレムには神殿がありません。
神殿は、
人々の罪のために犠牲を捧げる儀式が行われた場所でした。
イエス様の十字架の死の後では、
これらの犠牲の捧げ物はもう必要ありません。
罪がまったく存在しない新世界では殊更です。
神殿は神様と出会う場所でもありました。
新しいエルサレムでは、
神様は御自分の民の只中に住まわれているので、
神様と会うための特別な場所は要らないのです。
都には光も必要ありません。
都に住まわれる神様が輝きの源であり、
都を照らしてくださっているからです。
この世にはよいこともあります。
喜びをもたらすこと、神様が私たちにくださった賜物、
などがそうです。
ヨハネは、26節で「諸国民の光栄と誉れ」とについて語るとき、
おそらくこのことを意味しているのでしょう。
それらは新しいエルサレムに携えられてきて、
そこでも喜びの対象になります。
それに対して、
いかなる悪も、忌避すべきものも、汚れたものも、
都には入ることができません。
都は、
そこに住むのにふさわしくない者たち全員に対しても
閉じられています。
「王の息子の結婚式」についてのイエス様のたとえは、
これと同じことを語っています
(「マタイによる福音書」22章1~14節)。
結婚式の礼服に身を包んだ人々だけが、
聖なる都にふさわしいのです。
その礼服とは、
イエス様の血によっていただいた罪の赦しです。
それは私たちの悪さと汚さを覆い隠してくれます。