2012年10月22日月曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 22章10~17節 イエス様のお話(その2)



イエス様のお話 221017節(その2)



人間界は二つのグループに分けられます。
一方は汚らわしい者たち、もう一方は聖なる者たちです。
どこにその境界線があるのか、私たちには見えません。
しかし、神様の御目にはこの区別は明確です。
聖なる者たちとは、
「イエス様のもの」であり、
イエス様の聖さをもっている人々のことです。
汚らわしい者たちとは、
イエス様とその聖さを拒絶する人々です。
他に第三のグループなどはありません。
人は皆、
聖なる者のグループか、
汚れた者のグループかに属しています。
  
13節でイエス様は、
御自分が「アルファでありオメガである
(つまり、はじめでありおわりである)」、と言われます。
イエス様を通して世は創造されました。
そして、イエス様は最後の日に世の裁き主となられます。
父なる神様は御自分についてこれと同じこと
(神様はアルファでありオメガであること)を
「ヨハネの黙示録」で2回言われています
(「ヨハネの黙示録」18節、216節)。
イエス様は神様の御子なので、
御父について言えることは、御子についても当てはまるのです。
「ヨハネの福音書」でイエス様は、
「私と父とはひとつです」、
と言われている通りです(「ヨハネによる福音書」1030節)。

最後の日に人は皆、
神様の御前で罪人であることが示されます。
罪の赦しを受けた者のみが
神様の御前で耐えることができます。
14節の「衣を洗うこと」はこのことを意味しています。
罪の赦しをいただいた者は天国に入ることができます。
罪の赦しを受けなかった者に対しては天国の門は開かれません。
15節でイエス様は、
聖なる都に入れない「犬ども」について触れておられます。
ユダヤ人は
「選ばれた民」に属していない者たちを
「犬ども」と呼ぶ場合がありました。
これと同じ意味でこの言葉は用いられていると思われます。
「神様の民」、すなわち
洗礼を受けイエス様を信じている人々の集まり、
の外部にいる者たちは、新世界に入ることができません。
彼らは悪魔と同じ道を辿ります。
彼らは生きている間に、
おそらくは知らず知らずのうちに、悪魔に仕えていました。
15節の終わりに出てくる「偽り」もこのことを示しています。
悪魔は偽りの父です(「ヨハネによる福音書」844節)。
偽りを好む者は悪魔を愛しています。
彼らには彼らの親玉に対する裁きと同じ裁きが下されます。
この節のリストに挙げられている他の行いも、
それらを実行する者は神様の敵に仕えている、
ということを語っているのです。