2012年5月25日金曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 15章1~8節 天国に着いて(その2)


 
天国に着いて 1518節(その2)


天国では、世を裁いてくださった神様に感謝が捧げられます。
多くの人は、このことを残酷だとみなします。
「神様の裁きはおびただしい数の人々が
最悪の滅び(永遠につづく地獄の苦しみ)に遭うことなのだから、
天国に入った者たちがこのことについて神様に感謝するとは、
一体どういうわけだ」、と彼らは訝しがります。
これは確かにその通りです。
しかし、それでもやはり、神様の裁きは公正なのです。
そして、そのことについて、
天国では神様に感謝が捧げられているのです。
天国に着いたときに、ようやく私たちは、
神様の壮大なる聖さを目の当たりにし、
まさしくこのように讃美するのがふさわしいことだったのだ、
ということを理解します。
また、神様がこれほど長い間、裁きの時を延期してくださったことも、
驚嘆して感謝するべきことであるのは確かでしょう。
神様は世の不義と悪を見ておられ、
世が御自分の聖さに対して戦いを挑んでくるにもかかわらず、
神様は罪の赦しを受けることがまだ可能である「恵みの時」を、
世に対して延長してくださいました。
神様が共にいてくださる場所、
それゆえに居心地がよい場所に、
できるかぎり多くの人たちが入ることができるように、
神様は忍耐強く待ちつづけておられるのです。
  
「クリスタルの海」についての記述は、天国の幸福について語っています。
この世には、世界中を震撼させる激しい嵐が巻き起こります。
しかし、天国ではこのような嵐はありません。
天国の海は、クリスタルガラスの表面のように、平穏なのです。
  
それから、ヨハネはあの七人の天使をより詳しく見ます。
彼らの外見は、彼らがお仕えしているお方に似ています
(「ヨハネの黙示録」113節を参照してください)。
ヨハネがすでに前に見たことのある「生き物」
(「ヨハネの黙示録」468節)から、彼らは杯を手に受け取ります。
杯は神様の怒りで満ちている、と言われています。
今や、裁きの時なのです。
裁きを実行する時には、
誰一人、神様の御許、神殿に行くことは許されません。