2012年5月23日水曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 15章1~8節 天国に着いて(その1)


 
「ヨハネの黙示録」15
   
天国に着いて 1518節(その1)
   
 
1節で、ヨハネは神様の七つの怒りの杯の幻を描写し始めます。
彼は七人の天使を見ます。
それらの天使は、世界を震撼させる最後の七つの災いを
実行に移す準備ができています。
しかし、次の節では、怒りの杯の幻はもはや続かず、
ヨハネにもうひとつの幻が示されます。
彼は、天国とそこにいる「獣に勝利した人々、すなわち、
獣の像を拝まず、獣の数字が書いてある印を受けなかった人々」
を目にします。
彼らはモーセと小羊の歌を歌い、栄光を神様に帰します。
元々あらゆる栄光は、神様に属することがらだからです。
  
本来ならば怒りの杯を地に傾けることを描写すべきところなのに、
どうしてもうひとつ別の幻がここで示されているのか、
「ヨハネの黙示録」の読者は不思議に思うかもしれません。
しかし、天国の幻は
この箇所に何かの間違えで示されているわけではありません。
「ヨハネの黙示録」は他の箇所でも、
神様に属する人々がこの世でのさまざまな圧迫に耐え抜くよう、
励まそうとしています。
ここでの天国の幻もそれと同じ意味をもっています。
前述したように、
獣は世で大きな権力をもち、
神様に属する人々を迫害し、
教会を滅ぼそうとします。
そして、もうまもなく、
七つの最後の災いについての衝撃的な描写が始まろうとしています。
「ヨハネの黙示録」が描いているこれらの艱難の只中で、
神様の教会は活動していかざるを得ないのですが、
そのような状況の下で、
「神様のもの」である人は、
「神様の子どもとして生きる甲斐が本当にあるのか、
それは楽な生き方ではないのだから」、
などとふと思うことがあるかもしれません。
この疑問に、天国の幻は次のように答えてくれます、
「それでもやはり、生きる甲斐はあります。
なぜなら、神様の子どもだけが、
その居心地のよい場所(天国)に入ることができるからです」。
イエス様の御名のゆえに困難に陥ることになっても、
諦めてはいけません。
もしも信仰を捨てるならば、
モーセと小羊の賛美歌が歌われている場所には入れません。
そのかわりに、その人は
前章の終わりの箇所が戦慄すべきやり方で描き出した
グループの一員になってしまいます。
最後の災いについて語る前に、
天国の幻はこのことを言おうとしているのです。
それゆえ、この幻はまさにこの箇所にあるのです。
  
天国に入った人々は「モーセの歌と小羊の歌」を歌う、と言われています。
これは、天国に到着したグループには
旧約の聖なる人々も新約の聖なる人々もいることを、思い起こさせます。
この世で生きていた神様に属する人々は皆、
いつかひとつの群れとなり、神様に賛美を歌います。