2012年3月16日金曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 10章5~11節 巻物を食べるヨハネ

  
巻物を食べるヨハネ 10511
  
 
天使は手を天に向けて上げ、
時が終わろうとしている、と確言します。
それは、
第六のラッパの後、もはや神様は裁きの始まる時を延期なさらない、
という意味です。
第七のラッパが鳴る時、
イエス様は再臨され、この世の時は終わり、
神様は裁きを実行なさいます。
その時、
聖書の言っていたことが本当だったことを、皆が目の当たりにします。
今聖書を嘲笑している人々は、その時にはもう笑えなくなります。
神様の御使いたちは天地の主から人々にメッセージを伝えていたことを、
全員がはっきり理解します。
  
再び天から声が響き、ヨハネは特別な指令を受けます。
天使の手にしている巻物を食べなければならない、というのです。
旧約聖書には、似たようなケースが二つ記されています。
エレミヤは神様の御言葉をむしゃむしゃ食べました
(「エレミヤ書」1516節)。
エゼキエルもまたヨハネと同じ指令を受けました
(「エゼキエル書」289節、313節)。
ヨハネが実際に巻物を食べたとしても、別におかしくはありません。
パピルスを食べるのは前例のないことではなかったからです。
巻物を食べる行為には、より深い意味があったにちがいありません。
神様の御言葉が書かれた巻物をヨハネが食べるのは、
神様のメッセージが彼の内に取り込まれ、
彼自身の一部となったことを示しています。
  
今や神様の御言葉はヨハネの中にあります。
それゆえ、彼はそれについて黙してはおれません。
ヨハネには、
この巻物ははじめ口には甘く、次に腹には苦く感じられました。
これは、神様の御言葉がどのようなものか、よく表しています。
神様の御言葉は蜜のようです。
それはとても美味しく、読むのは愉しいものです。
しかし、神様の御言葉には別の一面があります。
嫌に感じられる面です。
御言葉は、私たちが聴きたくないようなことも語ります。
しかも、
その教えを他の人々に語らなければならないという使命は、
もはや喜びでも何でもありません。
とりわけ神様の裁きについて人々に話すのは難しく、
むしろ、何でもよいから何か他のことをやりたくなるほどです。
ヨハネもまた、彼の話を人々が聞きたがらないことをよく知っていました。
にもかからわず、彼は自分が目にし耳にしたことを公に伝えました。
人々を喜ばせるような内容ではなかったにせよ、
メッセージは神様から受けたものであり、
彼はそれを語るほかなかったのです。