二人の証人 11章3~14節(その1)
ヨハネは声が二人の証人について話すのを聴きます。
「ゼカリヤ書」には、これと関係する箇所があります(「ゼカリヤ書」4章)。
これらの証人は誰なのでしょうか。
彼らは、終わりの時に神様の御言葉を宣べ伝え、
人々を悔い改めへと招く神様の僕なのかもしれません。
一方で、この幻はいつか未来の出来事を描いているのではなく、
すでに起きたことについて語っている、という解釈も提示されています。
それによると、この二人の証人とは、
ローマで神様の御言葉を宣べ伝え、
そこで同じ日に、ネロ帝の迫害によって殺されたペテロとパウロのことだ、
というのです。
この説明によれば、証人たちが生き返ることは、
ペテロやパウロの魂が天国の神様の御許に入ることを意味します。
しかし、これらの証人が
ある特定の二人の証人を指しているものとは限りません。
この章の冒頭にでてくる「神殿」は
キリストの教会を意味していると思われます。
この二人の証人もまた、
この世で実際に活動している神様の教会についての
イメージである可能性もあります。
教会は神様の御言葉、また神様の裁きを宣べ伝えます。
そして、教会には
この世が高く評価するような栄誉も輝きもありません。
それゆえ、証人たちは
荒布を着た神様の僕として描かれているわけです。
証人の人数は、
「二人の証人の証言は信頼に足る」
とする聖書の教えを指しているものと思われます(「申命記」19章15節)。
もしも二人の証人がキリストの教会を描き出しているならば、
この証人の人数は、
福音が信頼できることを、
私たちに思い起こさせていることになります。
つまり、
キリストの教会が宣べ伝えているのは本当のことであり、
それゆえ信じるに値する、ということです。