2011年10月24日月曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 2章18~29節 テアテラの教会への手紙(その1) 

 
テアテラの教会への手紙 2章18~29節(その1)
 
 
テアテラは職人の都市としてよく知られていました。
「使徒の働き」には、リュディアという名の女の人が登場します。
彼女は紫布の商人で、テアテラ出身でした(「使徒の働き」16章14節)。
 
テアテラの教会ではひとつのことを除けばすべてが順調であったように見えます。
教会が福音についていっそう熱心になってきたのは、よいことです。
「最近、教会が初めの頃よりも多くのことを行っている」、
というのはそういう意味なのでしょう。
教会の問題点は、「イゼベル」と呼ばれる女でした。
これは彼女の本当の名ではないかもしれませんが、その本質をよくあらわしています。
私たちは旧約聖書によって、「イゼベル」というアハブ王の悪妻のことを知っています
(「列王記」上16章31節)。
今ここで話題にされている女は偽教師であり、
その教えによってテアテラの教会員たちを間違った道に引き入れました。
イゼベルが彼らのところに持ち込んだ「不品行」は、
通常の意味での不品行とは限りません。
旧約聖書は、イスラエルの民が「姦淫」を行い堕落した、と語りますが、
多くの場合それは偶像礼拝を意味しています。
イスラエルの民は神様の民であり、神様に忠実でありつづけるべき存在でした。
そして、異教の神々を礼拝することは姦淫を行うことに等しかったのです。
20節の「不品行をさせる」というのは、これと同じことを意味しているのでしょう。
この節の終わりの「偶像に捧げられた肉を食べさせる」という言葉も、
それを裏付けるものです。
要するに、
イゼベルがテアテラ教会のクリスチャンたちを偶像の神殿に連れて行き、
犠牲の式で偶像に捧げられた肉を食べさせたのでしょう。
このような儀式に参加することは偶像礼拝です。
また、こうした儀式には、
神様が第六戒で禁じていることが行われる場合もあったことでしょう。
つまり、「不品行」は、言葉の本来の意味での姦淫でもあった可能性があります。