2011年10月31日月曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 第2回目の質問(2章)

第2回目の集まりのために 


「ヨハネの黙示録」2章


今回扱う箇所は、
エフェソとスミルナとペルガモンとテアテラの諸教会に宛てられた手紙を含んでいます。
それらの手紙の中でイエス様は、
まちがった教えとそれを喧伝する偽教師たちとに気をつけるように教会に警告なさり、
また、迫害の最中にあっても信仰に留まるように教会を励ましておられます。
天国の道はただひとつです。
さまざまな困難に負けないでその道を歩んでいくようにと、イエス様は忠告されます。


質問

1)正しい教えの大切さが軽んじられることがしばしばあります。
エフェソの教会への手紙はこのことについて何を教えてくれますか。
正しい教えと、その教えに留まることとは、どうして大切なのでしょうか。

2)イエス様はエフェソの教会が初めの頃の行いに戻るように勧めておられます。
その「行い」とは、
誕生間もない頃の教会がもっていた熱心さのことを意味していると思われます。
こうした熱心さを信仰生活の中で保つためにはどうすればよいのでしょう。
正しい熱心さと間違った熱心さとのちがいは何でしょう。
信仰についてどのような結論を導き出すべきなのでしょうか
(信仰がエフェソの教会にとらせた行動に関する説明を参照してください)。

3)スミルナの教会は貧しいのに、富んでいました(2章9節)。
これはどういう意味でしょうか。
私たち自身や私たちの教会についてもそれと同じことが言えるでしょうか。
教会の真の富とは何でしょうか。

4)あなたはイエス様のゆえに迫害に耐える覚悟がありますか。
初期のクリスチャンに迫害に耐える力を与えたのは、一体何だったと思いますか。
私たちは迫害を受けているでしょうか。
迫害に耐える上で助けとなるのは何ですか。

5)ペルガモンの教会は、偶像礼拝を行わないように、と警告を受けています。
今日でも偶像礼拝が存在しますか。
どこで、どのようにして、それは行われていますか。
それは私たちを誘惑してきますか。
クリスチャンは偶像礼拝から離れていなければならない、
というのは具体的にはどういう意味ですか。

6)ペルガモンの教会宛ての手紙で、
イエス様は偶像礼拝をサタン礼拝と同一視しています
(2章13節の「悪魔の座」という表現に注目してください)。
他宗教(例えば、イスラム教、仏教、モルモン教、諸国民の元々の宗教など)は
サタン礼拝なのでしょうか。
あなたの見方を(聖書に基づいて)説明してください。
「コリントの信徒への第一の手紙」10章19~21節を読んでください。

7)偽教師はイゼベルのように非常に霊的な雰囲気の持ち主かもしれません。
偽教師を通して不思議な現象が起こる場合もあります。
正しい教えと間違った教えをどうやって見分けたらよいのでしょうか。
教会には今も偽教師たちがいるでしょうか。
それは誰でしょうか。
イエス様がテアテラの教会のクリスチャンに与えられた指示に従って、
私たちは行動しているでしょうか。
これらの指示に従うとは、具体的にはどういうことなのでしょうか。