2011年9月12日月曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック あたかも抽象絵画のように

  
あたかも抽象絵画のように
  
「ヨハネの黙示録」のあらゆる細部を説明し尽くそう
と試みた人が大勢います。
この書物に登場する様々なイメージには
明確な意味を持った言葉がそれぞれ対応しており、
それを読者は見つけ出さなければならない、
と彼らは考えたのです。
例を挙げれば、
「獣」はある特定の歴史上の人物であり、
「バビロン」は地図の上に位置する都市のことであり、
「ハルマゲドンの戦い」は終わりの時に起きる破壊的な戦いだ、
というわけです。
しかし、「ヨハネの黙示録」がある種のイメージに
特定の場所や人物や出来事という意味付けだけを与えている
とは限りません。
むしろ、「獣」とは、
「獣」のもつ特徴を満たすあらゆる実在のもの
をあらわしているのではないでしょうか。
たとえば、意識的あるいは無意識的に悪魔に仕え、
神様を侮蔑し、神様に属する人々に向かって戦いを挑み、
神様の教会を滅ぼそうとしている思想や大国や支配者たちのことです。
「バビロン」が
最終的には滅ぼされることになる悪魔の帝国についてのイメージ
であるのは、まずまちがいありません。
また、「ハルマゲドンの戦い」は、
かならずしも核戦争のことではなく、
悪魔が神様に向かって行っている総力戦を
一般的に表現しているのでしょう。
 
「ヨハネの黙示録」には、
抽象絵画のようなものとみなせる部分があります。
抽象芸術の全部の細部は明示できないし、
また明示しようとしてもいけません。
部分的には理解されないまま、
絵画自体が芸術家から絵の鑑賞者へのメッセージを伝えているのです。
「ヨハネの黙示録」の中にも
明示しないことを前提として書かれている箇所があるのでしょう。
そのように部分的には理解不能な幻として、
それらの箇所は私たちに語りかけ、
この世における神様と悪魔との戦いの様子を描いているのです。
  
この書物にはまた、
おそらく今の私たちにはわからない箇所も含まれています。
いつか将来、世界が変わったときに、
私たちはそれらの箇所を理解するようになるかもしれません。
あるいは、今は想像もつかない出来事を
いつか私たちは目にすることになるかもしれません。
数百年前の読者にとって
「海の死」を描く幻は理解不能に感じられたことでしょう。
しかし今日では、
海全体が本当に死滅する場合がありうることを私たちは知っています。
さらに時がたってこれから起きる出来事を見るようになれば、
「ヨハネの黙示録」の理解が進むだろうし、
どの部分が比喩でどの幻がそのまま実現するか、
確定できるようになるかもしれません。
こうした理由からも、
「ヨハネの黙示録」の難解な箇所への最終的な説明を留保するのが
賢明な態度であると言えるでしょう。
  
この書物を読むときには、聖霊様の助けが必要になります。
聖霊様は聖書の最高の釈義者です。
聖書は神様の御言葉なのですから、
神様御自身が一番上手にその意味を明らかにしてくださるのは、
言わば当然です。
それゆえ、私たちは
聖霊様を先生としてお迎えして、祈りつつ、
多くの難解な箇所を内包する「ヨハネの黙示録」を
読みはじめたいと思います。