フィンランド・ルーテル福音協会は1900年以来日本にルター派の宣教師を派遣し続けてきました。このブログでは、この宣教師団体の聖書や信仰生活に関する教えをフィンランド語から日本語に翻訳して紹介します。(夏は不定期更新になります)。
2011年9月28日水曜日
「ヨハネの黙示録」ガイドブック 1章9~20節 復活の主の顕現(その1)
復活の主の顕現 1章9~20節(その1)
パトモスはエーゲ海に浮かぶ島であり、
エフェソからみて南西約100キロメートルのところに位置しています。
ローマ人たちはこの小さい島を流刑地として利用していました。
ドミティアヌス帝の時代(西暦81~96年に在位)に、
クリスチャンはひどい迫害にあいました。
自分を神として崇めるようにという皇帝の要求を、
クリスチャンはとうてい受け入れることができなかったのです。
この時期の迫害の中で、ヨハネはパトモス島に追放され、
そこで「ヨハネの黙示録」が生まれました。
神様は、それ自体は悪いことさえも
御自分に属する人々のために「善用」なさいます。
迫害と追放がなかったならば、
「ヨハネの黙示録」が書かれることはなかったでしょう。
普通なら人間には見る機会がまったくないようなことを、
神様はヨハネにお見せになりました。
ヨハネは、御霊が彼をすっかり支配した、と語っています。
それは「トランス状態」、すなわち、
人間があたかも自分自身の外側に出て、
神様の特別な呼びかけに感応する状態のことを指しています。
このようなことを体験した聖書の登場人物は、ヨハネだけではありません。
旧約聖書の多くの預言者たち、また、
パウロ(「コリントの信徒への第二の手紙」12章)や
ペテロ(「使徒の働き」10章)も同様なことを体験しています。
「主の日」とは日曜日のことです。
それは、教会ができて間もない頃に
クリスチャンがユダヤ人の安息日(土曜日)の代わりに選んだ聖日です。
日曜日にイエス様は死者の中からよみがえりました。
それゆえ、まさにこの日を主の聖なる日と定めたのです。