2011年5月30日月曜日

「コリントの信徒への第一の手紙」15章13~28節 復活という事実 

  
復活という事実 15章13~28節
  
パウロはまずはじめに、一見瑣末な細部を大きな外枠に結び付けます。
ひとりの人間の復活の背景には、すべての人間の復活があります。
すべての人間の復活の根底にあるのは、キリストの復活です。
そして、キリストの復活の根本にあるのは、神様はキリストの贖いのみわざを認めてくださった、ということです。
この連鎖の中では各部分が重要であり、そのどの部分も完全な真理です。
ですから、私たちの復活はまったく確実です。
人は皆、死にます。
なぜなら、アダムが人類の上に死を引き寄せてしまったからです。
人は皆、死者の中からよみがえります。
なぜなら、イエス様が世に命を与えてくださるからです。
このことは、神様の御子イエス様が受けていた権威すべてを神様に返して、神様の権威に従うことになる「終わりの日」に、最終的に明らかになります。
 
パウロが話している内容は、彼自身にとってきわめて大切なものです。
それゆえ、私たちはパウロの言葉を心して深く学ばなければなりません。
神様は、キリストの贖いのみわざを認めたため、キリストを死者の中から復活させたのです。
キリストが死者の中から復活したおかげで、人は皆、死者の中から復活するのです。
人が皆、復活するので、クリスチャンは各々、自分が死者の中から復活すると確信できます。この連鎖の中のどれかひとつでも否定する者は、連鎖全体を否定することになります。
人は皆復活することを信じない者は、キリストの贖いのみわざも、神様がキリストを遣わされたことをも否定することになります。
このようにパウロによれば、復活がなければ、キリスト教は決して存立しえないのです。
もしも復活を忘れたり否定したりする場合には、すべてを否定することになるからです。