2011年5月27日金曜日

「コリントの信徒への第一の手紙」15章12節 コリントの自由思想家たち

  
コリントの自由思想家たち 15章12節
  
パウロが「キリストの復活」というテーマを取り上げたのは、コリントの教会がこのことに関しても問題を抱えていたからです。
教会には人間が復活することを否定する人々がいました。
しかし、これは別に不思議なことではありません。
キリスト教において「身体の復活」は、いつの時代にも人々が躓いてきた信条だからです。
現代人のうちのいったいどれほど多くの人が、使徒のように「身体の復活」を信じていることでしょうか。
  
古典時代におけるギリシア・ローマの世界では、「人間の身体は物質であり悪にすぎないが、人間の魂は栄光と善の火花である」という見方が支配的でした。
身体は、魂が善を考え実行する可能性(たとえば信心深い生活を送ること)を制限してばかりいる、というのです。
このように考える人間にとって、「人間は一個の全体であり、完全に神様のお造りになった存在である」という旧約聖書に基づく伝統的な考え方は、受け入れがたいものでした。
聖書によれば、人間の中にはまったく腐敗していない特定な部分などはありません。
実に人間は、罪がその隅々にまで染み付いた存在なのです。
  
コリントの思想家たちは、「身体の復活」を認めようとはしませんでした。
それは彼らにとってひどく不快で無教養で異質な考え方、それから遠ざかるべき抽象的な考え方、またわざと誤解してやりすごすべき考え方だったからです。
彼らがどのような信仰をもっていたか、私たちは知りません。
彼らは、おそらく何らかの形での「魂の不死」を信じていたのでしょうが、「身体の復活」のことは断じて信じようとはしなかったのです。
 

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