2011年5月23日月曜日

「コリントの信徒への第一の手紙」第12回目の終わりのメッセージ

  
終わりのメッセージ
  
  
「偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の衣を着てあなたがたのところに来るけれども、その内側には、略奪する狼がいるのです」(「マタイによる福音書」7章15節)。
 
愛する私たちの主キリストは、私たちが神様の御言葉を熱心に聴いて、偽預言者たちを警戒するように、極めて厳粛に勧め戒めておられます。
クリスチャンであろうとする私たちは、このことを心して学ばなければなりません。
主はこう言われたいかのようです、
「愛する子供たちよ、私はあなたがたに真剣に勧告します。神様の御言葉の説教がなされるときには、それを注意深く聴いて受け入れなさい。さもないと、御言葉はあなたがたから取り去られ、あなたがたは悪魔の言うことを聴かなければならなくなります。神様の御言葉を通して自分自身に関わる救いと栄光と従順を学ぼうとしない者は、悪魔から、ありとあらゆる恥ずべきことと自分自身を傷つけるようなことを学べばよいのです。どうすれば天国に行けるかは、神様の御言葉から学びます。しかし、どうすれば地獄に行くかについては、悪魔から学ぶのです。神様の御言葉からは、平和とよいことすべてを学びます。悪魔からは、嘆きと悲しみを学びます」。
主に属するクリスチャンを誘惑してその道を誤らせるべく全力で攻撃する偽預言者たちが出現することを、主は明確に知っておられました。
それゆえ、主は私たちに警告を発しておられるのです。
あなたがたは、神様の御言葉に触れることができるかぎり、その御言葉を正確に聴き、熱心に学びなさい。
そうすれば大丈夫です。
さもないとあなたがたは、できることなら御言葉を喜んで聴きたいと望んでいる場合でさえも、それが適わなくなる時をひたすら耐えなければならなくなります。
愛する主キリストは、私たちが神様の御言葉の中に堅く留まって、それを熱心に学ぶように、教え諭し警告しておられます。
それを実行するならば、私たちは何も心配する必要がありません。
しかしそうしない場合には、私たちは悪魔の言うことを聞かなければならなくなります。
  
ところが、現実はどうでしょう。
老いも若きもこぞって御言葉が虚空に消えるにまかせ、御言葉以外のあらゆることに関心を向けています。
私たちが神様の御言葉に対してこのような態度を取っているために、私たちを取り囲んでいる状況は次のようなものに変わり果ててしまうことになります。
しかもこの変化はすでに起きているのです。
すなわち、内部分裂や異端が生じて、そこで悪魔がやりたい放題のことをしています。
それゆえ、私たちの主キリストはそれについて厳粛に警告なさり、こう言われています、
「警戒しなさい!神様の御言葉の中に留まりなさい。御言葉を真剣に聴き、熱心に学びなさい。あなたがたがそうするならば、私は私の与える恵みと共にあなたがたのところに住もうと望んでいます。そうしない場合には、私は前もって言っておきますが、あなたがたを誘惑して引き裂く偽預言者や狼がこれからあらわれることになります」。
ですから、悪魔が自分の偽預言者たちを通してあなたがたを誘惑しないように、あなたがたは私の御言葉の中に堅く留まりなさい。
  
キリストはここでまた、「偽預言者は羊の衣を着てやってくる」、と言っておられます。
偽預言者は、自分が嘘つきであることを告白しながらやってきて、「私はあなたがたをだまして誘惑し、悪魔のもとに連れて行くつもりだ」、などと言うとは思わないようにしなさい。
悪魔は本心を慎重に隠すものです。
偽預言者は皆、「羊の衣」を着てやってきます。
油断は危険です。気をつけなさい!
もしもあなたが神様の御言葉の学びを怠るならば、悪魔はすでにあなたの「ドア」の中に足を踏み入れているのだ、ということを知っておきなさい。
 
気をつけなさい。
悪魔がどれほど悪質か、天使どころかキリスト御自身さえよりも、いかに素晴らしく美しい姿であらわれるか、信じられないほどです。
悪魔の僕たちは自分たちがあたかも義の説教者であるかのようにふるまいます。
この世の中では、人が悪者の口から発せられるきれいごとの言葉にだまされることはよくあるものです。
それと同様なことが教会でも起こります。
すなわち悪魔は、自分の正体をすぐに明かしたりはせずに、キリストの僕や使徒のふりをすることによって、私たちを欺くのです。
どこであれ、「羊の衣」は人をあざむきます。
それゆえ、各々が、熱心に神様の御言葉を正確に学んで、「私は神様の御言葉の中に留まり、それを信じて生きていきます」、と言うべきでしょう。
御言葉と矛盾していることに、私は耳を傾けたくも従いたくもありません。
たとえそれがどれほど好ましく思えるものであったとしてもです。
もしも私が御言葉のゆえに何かを苦しまなければならないとしても、別にかまいません。
世がキリストのゆえに私のことを非難するほうが、私がキリストを否認するよりもましだからです。
  
(マルティン・ルター 「霊的な清涼剤」)
  

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