2011年5月4日水曜日

「コリントの信徒への第一の手紙」13章8~13節 

  
不滅の愛 13章8~13節
 
パウロは再び愛と霊の賜物とを相互に比較していきます。
愛は決して滅びない、という点で愛は霊の賜物とは比べられないほど高みに位置しています。
愛とは異なり、霊の賜物はすべて、結局この世では不完全なものです。
しかし、栄光の中に入った人皆に神様の奥義が明示される時がいつか来ます。
その時には、異言で話す賜物もまたその意味を失います。
もはや誰もそのような特別な賜物を必要とはしなくなるからです。
あらゆる霊的な知識も、それらがどれほど深遠なものであっても、やはり時と共に消えて行く、という点では同じです。
いつか預言はすたれ、異言はやみ、知識は意味を失います。
しかしその時、愛はもはや決して消え去ることのない完全なものとなります。
このことは、人間が大人になっていく過程と比較することができるでしょう。
子供は自分の限られた理解力に応じて考え、自分で言葉にできることがらを話します。
人が大人に成長するとき、その話し方はもはや子供の不明瞭な音の流れではなくなります。
また、大人の膝ほどの身長しかなかった頃と比べて、いろいろなことがらをよりよく理解するようになります。
霊の賜物に関してもまったく同じことが起こります。
それらは、来るべき世界で実現することを予告するものであるのはたしかですが、神様の真理から遠い儚い賜物であることにはかわりません。
それとは異なり、愛は神様の完全で大いなる賜物なのです。
それは、霊の賜物(カリスマ)を求める人皆にとって、最良の恵みの賜物を得るための道なのです(12章31節!)。
その道を通じて、クリスチャンは皆、自分の生活の「エネルギー源」として、キリストの愛を競い合うようにして求めていかなければなりません。