2014年1月10日金曜日

「ヨハネによる福音書」ガイドブック 20章1~10節 空っぽの墓で


キリストの復活

「ヨハネによる福音書」20

空っぽの墓で 20110



朝早く墓を訪れたマグダラのマリアは、
墓の入り口の石が取り除けてあるのを目にしました。
彼女はすぐさまイエス様の二人の大切な弟子のもとへと急ぎました。
当然ながら、墓に最初にたどり着いたのは、
「イエス様の最愛の弟子」、主の復活の証人でした。
「ヨハネによる福音書」が語る復活の出来事の細部は、
重要な意味をもっています。
それぞれの福音書は、
空っぽの墓の出来事で誰がキリストの復活の証人になったか、
語っています。
復活の証人のリストのうちで最古のものは、
パウロを通して私たちに残されました
(「コリントの信徒への第一の手紙」15111節)。
これらの証言は互いに矛盾しているわけではありません。
「ヨハネによる福音書」でも、
マグダラのマリアは一人で墓に行ったとは書かれていません。
また、彼女はペテロともう一人のイエス様の最愛の弟子のところに行って、
「彼らは主を墓から取り去りました。
どこへ置いたのか、私たちはわかりません」、
と言っています。
つまり、「ヨハネによる福音書」では、
マグダラのマリアは一人で墓のところにいたのではありません
(「マタイによる福音書」281節と
「ルカによる福音書」2410節を参照してください)。
空っぽの墓にあったものは何でしょうか。
ペテロは、イエス様の最愛の弟子と同じものを目にします。
しかし、その意味がわかりません。
イエス様の最愛の弟子がようやく、
イエス様の頭に巻いてあった布が
きちんとくるまれて置かれている意味を理解します。
イエス様の身体は盗まれたわけではなかった、ということです。
そして、イエス様の最愛の弟子は「信じました」。
この言葉がここでどのような意味であったにせよ、
この時、復活信仰の最初の一筋の光が暗闇の世を照らし始めたのでした。
もっとも、まだこの段階では、
まだすべてが明らかにされているわけではありません。