2013年5月13日月曜日

「ヨハネによる福音書」ガイドブック 11章17~27節 マルタの信条告白



マルタの信条告白 111727
  
 
ラザロの姉妹を慰め共に悲しむ人々の一群で、
死者の家はひしめいていました。

イエス様はまずマルタと対話されました。
今までも見てきたように、「ヨハネによる福音書」では
「信仰」という言葉に非常に多様な意味が込められています。
人々はイエス様を「信じ」ますが、一方では、
キリストが現れた時にはこのイエス様よりも多くの奇跡を行うのだろうか、
などと不思議がったりもしています。
大抵の場合、イエス様の対話の相手は
話のポイントを理解することができません。
先ほど見た弟子たちの無理解にもそれはよくあらわれています。
  
それとはちがって、
ここでのマルタの信仰告白は模範的で美しいものです。
まずマルタは、
イエス様は奇跡を行うことができる、
という信仰を告白します。
イエス様は病気のラザロを癒すこともできるし、
さらには死んだラザロを今でもよみがえらせることができる、
と彼女は信じています。
こう言った後でマルタは、
最後の日に起こる死者の復活へのゆるぎない信仰を告白します。
対話のしめくくりとして、
イエス様の決定的な質問が飛んで来ます。
心臓の鼓動や呼吸によってではなく、
イエス様との絆を通して、
人は命と復活を得ます。
その意味で、命と復活の問題は、
人がイエス様のペルソナにぴったり寄り添っているかどうか、
という問題でもあるのです。
  
マルタは、
神様が霊的な盲目さを取り除いてくださった人々の中の一人でした。
彼女はイエス様の栄光をはっきりと見ました。
「信じます、主よ、私は信じます、
あなたがこの世に来られるはずのメシアであり、
神様の御子であられることを」。
  
このように、マルタとイエス様の対話は、
命と死の問題を正しい順序に整えます。
ラザロが死んで墓に横たわっているのは悪いことではありません。
彼には何も悪いことが起きたわけではないのです。
キリストを拒絶する時にこそ、人は不幸になります。