香油の無駄遣い? 12章1~11節
ベタニヤでの食事の折に驚くべきことが起こります。
すべての福音書が語っている女、
「ヨハネによる福音書」ではマリアと呼ばれているこの女は、
誰にも断らず、不意にイエス様の上に高価な香油を注ぎかけたのです。
香油は量的には約0.3リットルほどであり、極めて高価なものでした。
男が一日の仕事で得る賃金はデナリでした。
ということは、
男の一年分の賃金に相当する価値の香油が
一瞬にしてイエス様の上に注がれてしまったことになります。
すべての福音書は共通して、
弟子たちがこの浪費に憤ったことを伝えています。
この香油で得るお金を貧しい人々に分けることもできたはずだからです。
イエス様は「申命記」15章11節を引用しつつ、
この弟子たちの女に対する詰問を斥けて、マリアをかばいます。
香油の注ぎかけには明らかに二つの意味がありました。
まもなくエルサレムに入城されるイエス様を
王として宣言する油注ぎの儀式だった、ということと、
まもなく死ぬことになるイエス様の身体が墓に収められる
準備のための高価な油の塗布だった、ということです。
この段階でイエス様の受難の歴史に登場してくるのが、
イスカリオテのユダという悲劇的な人物です。
「ヨハネによる福音書」は神様の御計画の深淵を描き出しており、
このユダについても、
他のいかなる教会の教師たちよりも巧みに、またおぞましく活写しています。
このユダの役割は、はじめから明確でした
(「ヨハネによる福音書」6章70~71節)。
実は、その遥か以前からすでにそう決まっていたとも言えます
(17章12節の「滅びの子」という表現)。
イエス様を裏切るためにユダが皆のもとを出て行った時ほど、
夜が深い暗闇に覆われたことはなかったのではないでしょうか
(「ヨハネによる福音書」13章30節)。