ユダヤ人たちへのイエス様の答えは、
「ヨハネによる福音書」によくみられるように、
意図的ともとれる謎めいたものでした。
それを聞いた人は皆、
イエス様が壮大な神殿建築について語っているのだ
と思い込みました。
しかし、実際にはイエス様は
御自分の身体を意味しておられたのです。
このようにキリストの死と復活は
すでにこの福音書の初期の段階で示されていることになります。
ここではまた、「マルコによる福音書」の「メシアの秘密」
というテーマとのある種の関連を見ることができます。
キリストが主としての御自身の権威について
公けに語っておられるのに、
人々はその話を理解できないのです。
「ヨハネによる福音書」が提供してくれる
「時」に関する情報(エルサレム神殿の建築開始から46年後)は
軽い驚きを覚えるほど詳細です。
それに基づいて、この過ぎ越しの祭の時期を推定することができます。
神殿の建築は紀元前20年あるいは19年に始まったことになります。
もしもこれが正しければ、
この箇所での出来事は
西暦26年か27年の過ぎ越しの祭においてだったことになります。
この章の最後の数節で再び私たちは
奇跡の意味に関する問題にぶつかります。
イエス様は「しるし」を行われました。
それらの奇跡のゆえに人々はイエス様を信じるようになりました。
このように「ヨハネによる福音書」では、
奇跡には独自の大切な意味がありました。
しかし同時に、この福音書は
人々の奇跡信仰に対するイエス様の判断を記しています。
イエス様は人々を信用なさいませんでした。
奇跡に頼る人々の信仰が脆弱であることを御存知だったからです。