2012年11月21日水曜日

「ヨハネによる福音書」ガイドブック 第1回目の質問(1章)



「ヨハネによる福音書」1

1回目の質問

 
1)「ヨハネによる福音書」の冒頭部分は
ほかの福音書とはまったくちがっています。
このことは「ヨハネによる福音書」の信頼性を揺るがすものでしょうか。
  
2)1118節をもう一度声に出して読んで、
「これが福音書全体のはじまりである」、と考えてみてください。
この箇所を読むとどのような感じがしますか。
どの言葉に注目しますか。
これらの節に込められたメッセージは何でしょうか。
  
3)この福音書のはじまりは
天地創造の記述で用いられた言葉遣いを踏襲しています。
それはどうしてでしょうか。
  
4)118節に注目してください。
翻訳によっては、
御子だけか、あるいは神様だけについて記されている場合があります。
それはどうしてでしょうか。
また、あなたの使用している翻訳ではどうなっていますか。
  
5)ファリサイ派の人々は
洗礼者ヨハネが自分を誰だと言うつもりか、問いただします。
「叫ぶ者の声」というのが彼の答えでした。
「イザヤ書」40章の冒頭をよく読んでください。
この箇所はどのような神様の活動について語っていますか。
  
6)洗礼者ヨハネが神様の小羊について語るとき、
旧約聖書のどの箇所が背景となっていますか。
  
7)3542節では最初の弟子たちの召命が語られています。
自分自身の人生計画とそれまで築き上げてきたこととを全部捨てて
「何か」に従い始めるためには非常に強い召命が必要だ、
とあなたは思っていますか。
そういうあなたにとって召命はどれほど強ければ十分なのでしょうか。
  
8)神様からの召命を私たちは聴き取ることができるでしょうか。
今もなお神様は、
私たちが自分の持ち物を捨てて御自分に従うように
召しておられるのでしょうか。
それとも、どのように召しに応じていくかは、
私たちにゆだねられているのでしょうか。
  
9)4351節はフィリポとナタナエルの召命について語っています。
ナタナエルの様子の描写から、あなたはどのような印象を受けますか。
  
10)「ヨハネによる福音書」には
比喩に富んだ詩的な言葉が用いられています。
それはすでにこの1章で示されている通りです。
それには何か理由があるのでしょうか。
このような表現スタイルは
聖書を自分勝手に解釈する隙を与えすぎるのではないでしょうか。
福音書の記述に当たっては、
もっとはっきりとわかりやすい言葉が用いられるべきだった、
ということになりはしませんか。