イエス様の宮清め 2章13~25節(その1)
今も昔も神殿の周囲は市場で賑わってきました。
施しを乞う人々にも定められた居場所がありました。
ユダヤ人には神様に犠牲を捧げる神殿がたったひとつだけありました。
市場では犠牲を捧げるために必要な
おびただしい量の動物が売られていました。
神殿税はある特定のユダヤの硬貨でのみ支払うことになっていたので、
両替屋は栄え、同業者間の競争は激しいものだったと思われます。
こうした喧騒の中で
神殿の本来の意味や目的が見失われていたとしても、
何の不思議もありません。
何の不思議もありません。
宮清めは革新的な行為でした。
四つの福音書は一様にこの出来事について触れています。
イエス様は神殿から市場の商売人たちを一掃なさいました。
彼らは聖なる場所を強盗の巣窟にしてしまったからです。
旧約聖書を知っているユダヤ人たちは皆
「マラキ書」の次の箇所を想起したことでしょう、
「見なさい。私は使者(天使)を遣わします。
彼は私の前に道を備えます。
また、あなたがたが求めている主は
たちまちのうちにその宮に来られます。
見なさい。あなたがたの喜ぶ契約の使者(天使)が来る、
と万軍の主は言われます。
その到来の日には、誰が耐えることができるでしょうか。
そのあらわれる時には、誰が立っていることができるでしょうか。
彼は、金を吹き分ける者の火、布を洗濯する者の灰汁のようです。
彼は、銀を吹き分けて清める者のように座って、
レビの子孫を清め、金銀のように彼らを精錬します。
そして、彼らは義をもって捧げものを主に捧げます。
その時、ユダとエルサレムとの捧げ物は、
昔の日々のように、また大昔の年々のように、主に喜ばれます」
(「マラキ書」3章1~4節)。
大切な旧約聖書のもうひとつの箇所は「詩篇」69篇10節です、
「なぜなら、あなたの家を思う熱情が私を飲み込み、
あなたをそしる者のそしりが私の上に落ちかかってきたからです」。
弟子たちは後になって、
この箇所がイエス様に関わる予言であった、と知ることになります。