「ヨハネによる福音書」2章
第2回目の質問
1)2章1~11節では、イエス様がカナの婚礼に招かれて、
そこで水をぶどう酒に変えられたことを記しています。
イエス様は新郎新婦の祝宴に参加され、
しかも、祝宴が台無しになって恥をかかないように、
彼らを救われました。
これは私たちにとって、どのような意味をもっているでしょうか。
2)どのくらいの量の水を、イエス様はぶどう酒に変えられましたか。
この量について、どう考えればよいでしょうか。
3)フィンランド人はこの箇所について、
アルコールの問題と関連して論じ合うことがよくあります。
「もしも婚礼が
お酒をたくさん飲みすぎるフィンランド人の結婚式の祝宴だったなら、
お酒をたくさん飲みすぎるフィンランド人の結婚式の祝宴だったなら、
きっとイエス様はアルコールを水に変えられたことだろう」、
などという意見もあります。
この箇所は、
クリスチャンがアルコールの使用に対してどのような態度を取るべきか、
という問題について何か意味をもっているのでしょうか。
「コリントの信徒への第一の手紙」6章9~11節と
「テモテへの第一の手紙」5章23節を読んでください!
4)2章14~17節で、
イエス様は鞭を使って商売人を追い出して神殿を清めました。
イエス様がこうなさった時の神殿の位置づけや神殿の周囲の状態は、
どのようなものであったろう、とあなたは思いますか。
イエス様が鞭を手にされている光景を想像できますか。
このイメージは、
イエス様とその活動に関するあなたの理解に合致していますか。
5)イエス様はこうした行為によって、
いったい何を示されたかったのでしょうか。
このイエス様の行動の背景に
旧約聖書のどの箇所が思い起こされますか。
6)「マタイ、マルコ、ルカによる福音書」は、
この宮清めを
イエス様のこの世における活動のおわりのほうで記述しています。
それに対して「ヨハネによる福音書」は、
それをイエス様の活動のはじめのほうに記述しています。
このことについて、どう考えるべきでしょうか。
7)この章の最後の数節で、
「ヨハネによる福音書」は「信仰」(2章23~25節)について語っています。
これらの節について何を考えるべきでしょうか。