2012年11月12日月曜日

「ヨハネによる福音書」ガイドブック 1章19~28節 洗礼者ヨハネの証


 
洗礼者ヨハネの証 11928
  
 
洗礼者ヨハネは
すべての四つの福音書で決定的に大切な役割を担った人物です。
「マルコによる福音書」は、
イエス様の活動をヨハネからの受洗の時点から記しはじめます。
「ヨハネによる福音書」は、洗礼者ヨハネの証を
部分的にはすでに「ロゴス賛歌」の中に位置づけています。
この福音書は洗礼者ヨハネについて
読者がすでによく知っていることを前提しているように見えます。
イエス様がヨハネから洗礼を受けられたことさえ記さずに、
洗礼者ヨハネの証にすべての関心を集中しています。
これは、
すべてについて満遍なく語るのではなく
出来事の核心とその意味のみについて語るという
「ヨハネによる福音書」の個性的な記述のスタイルを端的に示す一例です。
  
洗礼者ヨハネのもとには「ユダヤ人たち」がやってきました。
この言葉によって「ヨハネによる福音書」は多くの場合
キリストを拒絶する選ばれた民をあらわしています。
彼らがどのグループに属しているか、それ以上細かくは言及されていません。
ローマ帝国の軍隊によってエルサレム神殿が破壊された後の時点では、
ファリサイ派やサドカイ派、ヘロデ党といった違いは
その意味を失っていました。
洗礼者ヨハネは彼らの質問にはっきりと答えました。
それは後に信仰を告白する人々にとっても模範となるような答えでした。
洗礼者ヨハネはキリストではなく、
エリヤでもモーセが約束した預言者(「申命記」1818節)でも
ありませんでした。
彼は「イザヤ書」が予言した「叫ぶ者の声」でした。
彼の使命は
自分よりもはるかに大いなる主の到来を告げ知らせることでした。

洗礼者ヨハネの証には興味深い特徴があります。
彼の弟子のグループは彼の死後もその活動を継続しました。
「ヨハネによる福音書」における洗礼者ヨハネの言葉は
そのグループに対しても向けられています。
もうひとつ興味深い点は一連の質問、とりわけ最後のふたつの質問です。
ヨハネは自分がエリヤではないという自己理解を示しています。
しかし「マタイによる福音書」は、彼がエリヤであった、と記しています
(「マタイによる福音書」1114節)。
つまり、すくなくとも彼は
「エリヤの霊において」活動していたことになります。
洗礼者ヨハネは第三の偉大な人物、
モーセの約束した預言者でもありませんでした。
この人物の来るべき出現が
ユダヤ人とりわけサマリア人の間では大きな期待を集めていました。
洗礼者ヨハネはこれらのレッテル張りをすべて斥けて、
むしろ、その時まさに世に御自身をあらわそうとしていた方の
証人になる立場を選びました。