2012年11月9日金曜日

「ヨハネによる福音書」ガイドブック 1章1~18節 賛歌ではじまる福音 


  
人となられた神様

「ヨハネによる福音書」1
  
  
賛歌ではじまる福音 1118
  
「ヨハネによる福音書」は驚嘆すべき壮大さをもってはじまります。
何の前触れも前置きもなしに、
この福音書は読者や聴き手をはるか高みへと連れ去ります。
はじめの118節は「ロゴス賛歌」と呼ばれるものです。
これは神様の御言葉について、
また御言葉が人となられたことについての
素晴らしい賛美歌になっています。
  
この賛歌の背景にある旧約聖書の第一の箇所は
聖書の読者にとってなじみ深いものです。
「ヨハネによる福音書」は
天地創造の記述の仕方と実によく似た言葉遣いによってはじまっています。
その言わんとすることは明確です。
この出来事は万事において最も基本的なことに関係している、
ということです。
  
この賛歌の背景にあるもうひとつの旧約聖書の箇所を見つけるためには、
旧約聖書をかなりよく知っている必要があります。
「箴言」8章は
神様の創造のみわざを媒介する存在として働いた「知恵」について
実に美しいイメージを提供してくれます。
「ロゴス賛歌」の主題も、まさにこの知恵、すなわち御言葉なのです。
「ロゴス賛歌」は、
この知恵こそが神様の独り子イエス様であることを
私たちに気づかせてくれます。
この聖書の箇所に基づいて、教会はキリストについて、
「すべてはこの方を通して生まれました。
生まれたもののうちでこの方なしで生まれたものは
何ひとつありませんでした」
(「ヨハネによる福音書」13節)、と信仰告白しています[1]
こうしてみると、
「ロゴス賛歌」のもつ非常に深い意味がわかってくると思います。
世の暗さを照らし出すために、
神様の独り子はその栄光から世へと下られたのです。
  
大部分の人々は
この方の栄光を見分けることができませんでした。
それに対し、
神様からそれを見る力を与えられた人々は
憐れみ深い神様が御自分の民の只中へと来られたことを
知ることができました。
このことの意味は
「ロゴス賛歌」の最後の節(18節)で
実に驚嘆すべき仕方で示されています。
14節には「父の独り子」という謎めいた記述がありますが、
ようやく18節で、
イエス様が独り子としてお生まれになった神様であること
が明らかにされます。
  
すでに福音書のはじめの数節の中に、
「ヨハネによる福音書」の特徴ともいえる神学用語があらわれています。
それは「光」と「闇」という一組の言葉です。
この一組の用語は
たとえば「ヨハネの第一の手紙」の中に繰り返し登場します。
全世界はその罪のゆえにまったくの暗闇に覆われています。
キリストが世に来られたことは、
直視できないほど眩しい光が世にもたらされたこと
を意味していました。
そして、この光のことを
理解した者もいれば理解しない者もいたのです。
キリストを見出した人は
暗闇から光へと移りました。
「ヨハネによる福音書」の他の箇所での表現によるなら、
それは死から命への移行でもありました。



[1] ニカイア信条。