新天新地 21章1~8節(その2)
それからヨハネは新しいエルサレムを見ます。
「新しいエルサレム」は、
神様が「大いなる祝宴」のために清め整えてくださった
「キリストの教会」を意味しているものと思われます。
19章には、
新世界で挙式されることになる
「小羊の婚礼」についての記述がありました。
その箇所では「神様の教会」は、
清く輝く麻布の衣に身を纏う「花嫁」として描き出されていました
(「ヨハネの黙示録」19章7~8節)。
「新しいエルサレム」は「天国の都」、
すなわち新世界の中心のことも意味しています。
これについては10節から始まる箇所に書かれています。
おそらくヨハネは「新しいエルサレム」という言葉で、
「天国に入った神様の教会」と
「新世界の都」という二つのことを意味しています。
これらは互いに密接に関係しているため、
両方とも同じ名で呼ぶことができるのです。
ヨハネは御座から発せられる神様の御声を聴きます。
その声は、新世界がどのような場所か、説明します。
神様は御自分に属する人々の真ん中に住んでおられます。
そのおかげで、そこにあるのは素晴らしくよいことばかりです。
新世界に入った者は悲しみも死も痛みも苦しみも感じません。
新世界は罪に堕落したこの世とはまったく異なっています。
この世では罪があらゆるところに入り込んでいるので、
罪の全然ない生活というのは、想像するのも難しいほどです。
新世界では罪が存在しないため、
そこでの生活はこの世での生活とは非常に異なっています。
戦争はなく、
私利私益の追求もなく、
愛に欠けた行動もなく、
人を傷つける言葉もなく、
悪い考えすら浮かぶことがありません。
永遠の命は罪のない命であり、
それゆえ、それは実に驚くほどよいものです。