2012年9月10日月曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 20章11~15節 最後の裁き(その1)


 
最後の裁き 201115節(その1)
  
 
ヨハネに最後の裁きが示されます。
彼は、神様が御座におられ、
すべての人間が全能者の御前にいるのを見ます。
「命の書」が開かれ、
そこに記されていることにしたがって全員が裁きを受けます。
誰一人この裁きを逃れることはできません。
ヨハネの時代に、また後の時代にも、長い間にわたって、
海で死んだ者は海に埋葬されました。
彼らもまたよみがえって裁きを受ける様子を、ヨハネは見ます。
海の記述についてのもうひとつ可能な解釈は、
海は死をあらわしている、というものです
(「ヨハネの黙示録」211節と、その説明を参照してください)。
死んだ後に天国に入れなかった人々の魂は、
ヨハネが
「死」(ギリシア語でタナトゥス)、
「黄泉」(ギリシア語でハーデース)
と名づけている場所に行きました。
この場所もまた、死者たちを最後の裁きへと引渡します。
全人類が神様の御座の前に立ち、裁きが始まります。
  
私たちが使徒信条で信仰告白する「身体のよみがえり」の瞬間を、
ヨハネはここで描いています。
人は死ぬ時、魂と身体が分離します。
身体は墓に横たえられますが、魂はそこには残りません。
最後の日には身体と魂は再び一体になります。
神様が与えてくださった身体に包まれて、
私たちは神様の裁きへと歩み出ます。
最後の日には、
イースターにイエス様の上に起こったのと同じことが、
人間一人一人の上に起こります。
墓は空になり、イエス様の魂は「復活の身体」をまといました。
パウロは「復活」について、
「コリントの信徒への第一の手紙」15章で、より詳しく語っています。