最後の裁き 20章11~15節(その1)
ヨハネに最後の裁きが示されます。
彼は、神様が御座におられ、
すべての人間が全能者の御前にいるのを見ます。
「命の書」が開かれ、
そこに記されていることにしたがって全員が裁きを受けます。
誰一人この裁きを逃れることはできません。
ヨハネの時代に、また後の時代にも、長い間にわたって、
海で死んだ者は海に埋葬されました。
彼らもまたよみがえって裁きを受ける様子を、ヨハネは見ます。
海の記述についてのもうひとつ可能な解釈は、
海は死をあらわしている、というものです
(「ヨハネの黙示録」21章1節と、その説明を参照してください)。
死んだ後に天国に入れなかった人々の魂は、
ヨハネが
「死」(ギリシア語でタナトゥス)、
「黄泉」(ギリシア語でハーデース)
と名づけている場所に行きました。
この場所もまた、死者たちを最後の裁きへと引渡します。
全人類が神様の御座の前に立ち、裁きが始まります。
私たちが使徒信条で信仰告白する「身体のよみがえり」の瞬間を、
ヨハネはここで描いています。
人は死ぬ時、魂と身体が分離します。
身体は墓に横たえられますが、魂はそこには残りません。
最後の日には身体と魂は再び一体になります。
神様が与えてくださった身体に包まれて、
私たちは神様の裁きへと歩み出ます。
最後の日には、
イースターにイエス様の上に起こったのと同じことが、
人間一人一人の上に起こります。
墓は空になり、イエス様の魂は「復活の身体」をまといました。
パウロは「復活」について、
「コリントの信徒への第一の手紙」15章で、より詳しく語っています。