2011年2月3日木曜日

「コリントの信徒への第一の手紙」7章17~24節 

   
基本的なルール 7章17~24節
  
パウロは結婚についての教えを、より広範囲な文脈に結び付けます。
「各人、神様が与えてくださった役割にしたがって神様の御前で生きていくように」、というのです。
もしも神様がある人を割礼を受けた者として招いてくださったのならば、その人はユダヤ人クリスチャンとして主にしたがっていきなさい。
もしも神様がほかの人を割礼を受けていない者として招いてくださったならば、その人はクリスチャンになるために、まずユダヤ人になる(つまり割礼を受ける)必要はないのです。
一番大切なのは、「どちらの人もキリストに属している」、ということです。
奴隷であろうと自由人であろうと、未婚の賜物を受けた者であろうと、それを受けていない者であろうと、クリスチャンは皆、神様に反抗したりせずに、神様が与えてくださった役割の中に留まらなければなりません。
奴隷である人にとっては、神様が与えてくださった自由(のすばらしさ)に比べれば、法的に自由になるために自分自身を買い取ることには、どれほどの意味があるというのでしょうか。
少なくともこの御言葉が意味しているのは、「皆から注目されて賞賛の的になるために「高台」に上ろうとするのは、クリスチャンにふさわしい生き方ではない」、ということです。
パウロが21節で何を言わんとしているのか、はっきりとはわかりません。
もっとも、この節のはじめの部分(「たとえあなたが自由の身になれるとしても」)の意味は明瞭です。
しかし、その後の部分は二つの読み方があります。
1)「だから、あなたは自分の役割をなおいっそう大切にしなさい」、という意味と、
2)「あなたに与えられている機会を利用しなさい」、という意味です。
ともあれ、パウロは人間の価値を社会的な地位によって判断したりはしない、ということは確かです。