2011年2月4日金曜日

「コリントの信徒への第一の手紙」7章25~40節 

 
むしろお好きなように! 7章25~40節
   
パウロは「未婚の若い女性とやもめ」のケースについて話し始めます。
ここでは彼は、決して絶対的な命令を与えようとはしていません。
そのかわり彼は、自分自身の意見を述べるに留めています。
パウロの目には、クリスチャンに対する迫害がすでに映っていました。
そして、それは本当にまもなく始まったのでした。
要するに彼は、この世はいまや消えつつある、と見ていたのです。 
  
自分の人生を考えるとき、このことをクリスチャンは念頭においておくべきです。
自分が「天に属するもの」になったとき、クリスチャンにとって「地に属すること」はそれほど価値のないものになりました。
「(来るべき)迫害のゆえに、クリスチャンは皆、今までと同じ立場や状態に留まるのが望ましい」、とパウロは考えました。
もしも結婚しているならば、離婚するべきではないし、もしも未婚なら、結婚するべきではない、ということです。
迫害のときには、家族をもつ者が一番悲しい目に遭うからです。
ところが、こう言った後でパウロは自分の教えをすぐに引っ込めます。
もしも誰かが花嫁と結婚したいと望むならば、パウロにはそれに反対する理由がありません。
結婚するにせよ、しないにせよ、コリントの信徒たちはこのことに関しては正しく行動しています。
なぜならば、これについては「主の命令」がないからです。
大切なのは、すべてが「主にあって」なされることです。
これは、配偶者が両方とも「主のもの」(信仰者)でなければならない、という意味であるのはほぼ確実です。
  
注目すべきは、この箇所でパウロが再婚をやもめに許可していることです。
そして、再婚するかどうかは、やもめが自分で決めてよいのです。
自分自身の意見として、パウロは、「やもめは結婚せずにいるほうがより幸福だ」、と言っています。
しかし、彼はこう言うことで誰のことも束縛しようとは思っていません。