2011年2月17日木曜日

「コリントの信徒への第一の手紙」偶像に捧げられた肉について 

  
犠牲をいとわない愛
  
「コリントの信徒への第一の手紙」8章~11章1節
  
8章でパウロは、ある問題を取り上げます。
それについて彼は11章1節にいたるまで語ります。
それは「偶像に捧げられた肉を食べてよいかどうか」という教会内を二分する大問題でした。
ですから、パウロは問題の所在について(事情を知っている)コリントの教会員たちに細かく書く必要がありませんでした。
それに対して、現代に生きる私たちは基本的な事情の説明を必要としています。
「偶像に捧げられた肉」とはいったい何であり、どういうわけで、それが争いを巻き起こしたのでしょうか。
 
現在とは異なり当時の世界では、肉は珍しいご馳走でした。
ふつう貧しい民は野菜と穀物を食べて生活していました。
とはいえ、肉はごく一般的に売られてはいました。
問題だったのは、売られている肉はすべて、なんらかの形で偶像礼拝に関係していた、ということです。
まじめなユダヤ人にとって、商店の肉がモーセの定めた規定に沿ってほふられたものではない、ということだけでもすでに嫌悪の念を起こさせるものでした。
さらに悪いことに、ほふられるときに動物からその毛の房を少し取り分けて、偶像に捧げられた可能性もありました。
しかも、これだけではありません。
動物の大部分は、まず神殿で偶像に捧げられてから、ほふられたのです。
それらのうちのほんの一部は祭壇で捧げられ、残りの大部分は肉屋に売りに出されました。
ユダヤ人にとってとるべき態度は明らかでした。
当然ながら、誰もこのような肉を食べることはできませんでした。
ユダヤ人は閉じられた共同体を形成し、その中で、家族と親戚と同じ部族の者たちとのみ食事を共にしていました。
ところが、異邦人クリスチャンの状況はそれとはまったく異なっていました。
彼らは閉じられた共同体でではなく、開かれた共同体で生活していたのです。
もしも肉を食べることが禁じられるならば、親戚や友人たちとの(肉食に関連した)祝祭も禁じられることになります。
宗教に関わる大きな祝祭が催された時には、この肉食の問題はいっそう一種即発の大問題となりました。
これらの祝祭に関連して、民心を買おうとする役人たちは、しばしば祝祭の参加者たちに食べ物を、多くの場合には肉を、分けて配りました。
コリントの教会の多くの貧しい信徒たちにとって、これは魅力的すぎる誘惑でした。
こうして教会は、肉を食べる人と肉を食べない人とに二分されてしまいました。
肉を食べない人たちは、肉食は偶像礼拝であるとして、肉を食べる人たちのことを責めました。
こうした物言いが激しい争いの引き金になったのは、想像に難くありません。