「ローマの信徒への手紙」はいつ書かれたか?
「ローマの信徒への手紙」で、使徒パウロは、
地中海沿岸の北東部の地方ではもうすでに福音を宣べ伝えることができた
と見ており、
ローマと、そこからさらにスペインでの伝道を計画しています(15章23〜28節)。
ここからはっきりわかるのは、
「ローマの信徒への手紙」は、
使徒パウロの伝道旅行のはじめの頃に書かれたものではない、
ということです。
この手紙でパウロはさらに、
異邦人(非ユダヤ人)キリスト教徒の集めた寄付を
エルサレムに運ぶ旨を述べています(15章25節)。
つまり、この手紙が書かれたのは、
西暦55年か56年の春に彼が行った旅行の直前だった、
ということになります。
この旅行の始まりについては、
「使徒言行録」20章に述べられています。
パウロはこの手紙をコリントで書いた可能性があります。
彼はこの旅行の前にコリントに滞在していたからです
(「使徒言行録」20章2節)。
パウロは、
コリントの港町ケンクレアの教会のディアコニア
(食事などを分けて人を助ける奉仕の仕事)をしていた
フォイベのことをほめて、ローマの信徒たちに推薦しています(16章1節)。
このこともまた、
彼がコリントでこの手紙を書いたのではないか、
という推測を裏付けています。