2013年9月25日水曜日

「ヨハネによる福音書」ガイドブック 16章17~23節 もうしばらくすると



もうしばらくすると 161723


この箇所では、「もうしばらくすると」という言葉が、
しつこいほどに繰り返されています。
この大切な言葉をやり過ごして読み進めるのは、
そうしたくてもできません。
まさにこの言葉の中に、今回の箇所の核心が含まれているからです。
イエス様は、御自分に属する人々を
大変な苦境と迫害の中に残されようとしています。
そのことを、
神様をないがしろにする悪の世は喜び、悪魔は祝います。
しかし、この状態はたんに一時的な瞬間に過ぎません。
それは、あたかも子供が生まれる時のようです。
産みの苦しみは大変辛いものですが、
ひとたび子供が生まれると、それは大きな喜びに変わります。
イエス様が弟子たちのもとを離れる場合も、それと同じです。
イエス様に属する者たちが主から離れ離れになっている状態は、
一時的なものに過ぎません。
そして、キリストと再び顔を合わせることができるようになる時、
非常に大きな喜びが彼らの心を満たします。
   
 
イエス様の御言葉は、教会にとって絶えず有効であり続ける勧告の言葉です。
しかし、残念なことに、このことはしばしば忘れられています。
もしも主が今日この世に再臨されるとしたら、
いったいどのようなことになるでしょうか。
イエス様に属する人々は、それに対して用意ができているでしょうか。
それとも、
「帰宅した後に家人を厳しくグループ分けせざるをえなくなる主人」
についてのイエス様のたとえが実現してしまうのでしょうか。
キリスト信仰者には、個人として、
この世の時流に流され、キリストを忘れ、
キリストの愛に対して冷たい態度を取るようになる危険が常にあります。
全体としてみた場合、教会にも、
キリストとその再臨を忘れ、他のことに関心を集中し、
まるで最後の大いなる裁きなど決して来ないかのように思い込んで
活動する傾向があります。
最後の裁きは必ず来るし、
キリストに従うことによってのみその裁きを免れることができる、
ということ、私たちは心に刻んで生きているでしょうか。