2013年8月19日月曜日

「ヨハネによる福音書」ガイドブック 14章1~14節 天のお父様の御許への道



道、真理、命

「ヨハネによる福音書」14


この章から始まる長大な箇所は、
イエス様の名高い「告別の辞」を含んでいます。
実はこのお別れの挨拶は、すでに1331節から始まっており、
17章のおわりまで続いていきます。
古典時代には、
偉大な人物の生涯最後の言葉に対して特別な関心が払われました。
その意味では、「ヨハネによる福音書」においても、
イエス様の告別の辞にはとりわけ大切な意味が込められていると言えます。


天のお父様の御許への道 14114
 
今までの話と直接的には関係がない話を、イエス様はここで始められます。
それは、
イエス様が天のお父様の御許に戻られて、
そこで御自分に属する者たちのために場所を用意してくださる、
という約束です。
「ヨハネによる福音書」はすでにその1章から、
イエス様が
この世に人間としてお生まれになる遥か以前から
すでに存在なさっていたことを強調しています。
今や、主が栄光の中へと帰る時が訪れました。
御自分に属する人々のための場所を天のお父様の御許に用意する、
という主の使命は、いよいよ仕上げの最終段階に入りました。
 
イエス様に属する人々が栄光の幕屋に入ることについて、
イエス様が語られるとき、
そこには二つの視点が含まれています。
ひとつは、他の三つの福音書が強調する
「最後の裁きの時のキリストの再臨」です。
この視点は、「ヨハネによる福音書」にもあらわれています
(特に143節。また1124節も参照のこと)。
しかし、
「ヨハネによる福音書」においてこの視点よりもさらに強調されているのは、
「人はキリストに出会って信じる時に、死から命へと移っており、
裁きを受けないで済むようになっている」、という視点です。
この事実は、
イエス様のお話や弟子たちの質問の中にはっきりとあらわれています。
トマスとフィリポは両者そろって、
実は同じテーマに関する質問を提示しています。
トマスは、天のお父様の栄光の御許への道を知りません。
フィリポは、天のお父様を見てみたいと願います。
イエス様のお答えは、天のお父様への道を指し示すものでした。
すなわち、イエス様を知ることが道であり、
しかも天のお父様の御許への唯一の道である、ということです。
イエス様を知るようになった人は、天のお父様をも知るようになったのです。
このように御父と御子は一つなのです。
父が子の中におられ、子が父の中におられるからです。
イエス様に属する人々の活動を通して
神様の奇跡が繰り返し起きるという約束は、
来るべき教会の全世界伝道をすでに予見するものと言えるでしょう。