弟子たちの足を洗うイエス様 13章1~20節(その1)
最後の食事の時に、イエス様は御自分を低めて、
すべての弟子たちに仕える僕となられました。
イエス様は僕の服を着て一人ずつ弟子たちの足を洗っていかれました。
この出来事には二つの大切な意味があります。
最後の晩餐で弟子の足を洗うことは、
イエス様が弟子たちを倦むことなく愛して
面倒を見てくださることを表しています。
十字架の影はすでに彼ら小さな群れの上にまで延びてきていましたが、
神様の御子は弟子たちに仕えることに
疲れ果てたりはなさいませんでした。
御自分をこれから裏切ることになる者に対しても、
他の弟子たちに対するのと同様に接してくださったのです。
太初には栄光に包まれて天国の父なる神様の御許におられたイエス様にとって、
他の人々の足を洗うというこの僕の仕事は
取るに足らないことではなかったのです。
この出来事のもつもう一つの意味は、
イエス様が12~17節に語っておられることです。
神様の御子は御自分に属する者たちに対して模範を示されました。
一番低い立場の者が行う奉仕の仕事をイエス様が率先して行われた、
ということは、イエス様に属する者は、誰であれ、
他の人たちを見下して隣り人を助ける仕事から遠ざかるようなことが
あってはなりません。
神様の御国の「憲法」には、
誰も他の人々の主人ではない、
ということがあります。
重要人物であればあるほど、
その人はより謙遜に他の人々に仕える僕であるべきなのです。
主が弟子たちの足を洗うことに込められたこのようなメッセージは、
今もなおキリストの教会へと発信されています。