イエス様と姦淫の女 7章53節~8章11節
これは、人々の心を打つ特別に美しい箇所です。
イエス様は罪人の友である、というメッセージを伝えています。
この出来事はエルサレムで起きたと考えられます。
あるいは、
イエス様のこの世での人生の終わりに近い頃のことだったかもしれません。
そう考えて、この出来事から、
いっそう緊張した雰囲気を感じ取ることも可能でしょう。
この出来事には、
他の三つの福音書が伝える
「皇帝への税金」をめぐる議論と似た面があります。
イエス様がどう答えようとも、必ず罠にはまる仕掛けになっていたのです。
モーセの律法に忠実であることと、
罪人たちの友になることとを、
互いに結びつけて両立させるのは、不可能だったからです。
律法に忠実を貫き、姦淫をした女を殺すか(「申命記」22章22~24節)、
あるいは、その女の罪を大目に見て、モーセの律法を否定するか、
そのどちらかを選ばなければなりませんでした。
イエス様はどうなさるでしょう。
イエス様は
この状況をすっかり掌握して、自由に振る舞われました。
そして、地面に何かお書きになりながら、
この仕組まれた劇的な状況が、
時間の経過とともに
本来の目的からはずれていくようになさいました。
イエス様は、
しつこく返答を迫る者たちを相手にせずに、
静かで穏やかなたたずまいを保たれました。
イエス様の一言によって、
今度は彼らが決断に迫られることになりました。
まず高齢で律法の知識に富む者たちが、
それから他の者たちが、
その場にいるのにいたたまれなくなり、何処へと姿を消しました。
最後にその場に残ったのは、
姦淫の罪を犯した女だけでした。
イエス様は彼女に罪の赦しを宣言し、
これからは悔い改めた者にふさわしい新しい生活を始めるように、
と彼女を送り出しました。