2013年3月13日水曜日

「ヨハネによる福音書」ガイドブック 8章1~11節の出自について


  
ガリラヤから昇る世の光
  
「ヨハネによる福音書」8
  
8111節の出自について
   
 
「ヨハネによる福音書」8章は、
多くのキリスト信仰者にとって特別な思いのある出来事によって始まります。
イエス様が罪の女を憐れんでくださったこの出来事については、
まず聖書の写本の問題を取り上げる必要があります。
   
古典時代のテキストはすべて、
たとえばキケロの演説やパウロの手紙なども、
私たちの時代にまで写本として保存されてきたものです。
印刷技術ができる以前には、
福音書を自分のものとするための唯一の方法は、
写本を手で書き写したコピーを入手することでした。
そして、コピーがオリジナルのテキストとまったく同一であったケースは
ごくまれでした。
コピーを作る時に一つの文字や一文が抜け落ちてしまったり、
まちがった場所に書き写されることもあったでしょう。
写本をコピーする人が、
写本の端に書き込まれていた註を本文の中に組み入れたり、
暗記していることがらを自分の文脈理解に基づいて
テキストに付け加えることもあったでしょう。
こうして難解な言葉や箇所に補足説明が加えられることもあったでしょう。
キケロやパウロが書き残したオリジナルのテキストを
再構成しようと試みる古典研究者は、
写本を相互に比較して本来のテキストの形を再構成するという、
興味深く手ごわい問題に取り組んでいます。
これは古典文献学において強靭な専門的知識が要求される仕事です。
研究対象が新約聖書である場合には、
さらに原語聖書の深い知識も必要です。
こういったあらゆる困難を越えてようやく、
例えば
新約聖書の原語のオリジナルテキストの文献批判的な版が構成されます。
この版では、ほとんどの場合にはほぼ確実と言ってよい確率で、
オリジナルのテキストと何百年も後から加筆された部分とが
互いに分別されています。
  
このようにしてできた写本が何百何千もあるということは、
キリスト教会はあやふやな基盤の上に成り立っている、
ということになるのでしょうか。
それはまったくちがいます。
私たちの信仰にとって決定的に重要なことは、
何一つとして写本間の相違によって疑問に付されてはいません。
ただし、
本来の新約聖書には入っていなかったと思われる、
皆に愛されてきた大切な箇所がふたつあります。
そのうちのひとつは「マルコによる福音書」16920節で、
他の福音書などで記述されている
イエス様の復活に関する出来事と一致する内容になっています。
もうひとつの箇所が、これから取り上げる
「ヨハネによる福音書」753節~811節です。
   
この箇所は、
新約聖書より何百年も後から書かれたものではありません。
それは古くからある福音書伝承に基づいています。
このテキストについては、
すでに西暦約130年頃ヒエラポリスのビショップが言及しています。
エウセビオスはそれを新約聖書の外典である
「ヘブライ人の福音書」の中に位置づけています。
この箇所は、おそらく非常に古くからある福音書の一部でしたが、
ただ私たちの手元に残された福音書には含まれていなかったのでしょう。
「ヨハネによる福音書」の流れをよりスムーズに追っていくために、
この箇所はこの章の最後で扱うことにしましょう。