2013年3月15日金曜日

「ヨハネによる福音書」ガイドブック 8章12~20節 ガリラヤから昇る光 


   
ガリラヤから昇る光 81220
  
 
ここで7章の終わりに戻りましょう。
そこではイエス様の反対者たちは、
「ガリラヤから預言者が現れるという予言はない」、
と言ってイエス様を拒みました。
しかし、彼らは非常に大切なメシア預言を見落としていました。
「イザヤ書」(823節)には、
周囲から軽んじられてきたゼブルンとナフタリの地が
大いなる栄光を見ることになる、
とあります。
この予言の後にすぐつづいているのが、
平和の君がその民を解放するために来られる、
というクリスマスの預言です。
「子が私たちに生まれ、男の子が私たちに与えられました。
権威はその肩にかかっています」(「イザヤ書」95節)。
  
ベツレヘムでお生まれになるメシアのことについて触れた
「ヨハネによる福音書」は、
イエス様のたったひとつの御言葉によって、
ふたつの待望を結び合わせました。
メシアはベツレヘムとガリラヤからあらわれるはずだ、
という待望です。
まったく同様にして「ヨハネによる福音書」は、
イエス様のペルソナのふたつの側面[1]を結び付けました。
人々はイエス様が人としてお生まれになったことを知っていました。
これは、メシアの誕生については誰も知らないはずだ、
という予想とはずれていました。
人々はイエス様の神様としての出自を知らなかったし、
それを認めて告白することもありませんでした。
人々は御父を知らなかったので、
御子のことも知ることができませんでした。
彼らは御子を憎み、
神様が遣わされた光をかき消すために機会を窺っていました。
ここでまた「ヨハネによる福音書」の冒頭の「ロゴス賛歌」に戻りましょう、
「そして、光は暗闇の中で輝いています。
しかし、暗闇は光を我が物とすることができませんでした」(15節)。
 

[1] イエス様は、まったき神であり、かつ、まったき人であることです(訳者註)。

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