アブラハムの子孫か、悪魔の子孫か? 8章31~59節(その2)
「ヨハネによる福音書」が書かれた時代にも、
こうした言葉には現実の重みがありました。
当時もキリスト信仰者は、
神様の民がイエス様を拒む
という状況の中で生活していたからです。
その時にも神様の民は、
自分たちがアブラハムの子孫であることを
持ち出したのはまちがいありません。
人が神様の民の一員であることには、
どのような益があったのでしょうか。
今ここで扱っている箇所は、この質問に明確に答えてくれます。
もしも人がキリストを拒むなら、
その人が選ばれた民の一員であることには、
何の益もないのです。
パウロの証と一致しています。
パウロは「イザヤ書」を引用しつつ、こう書きます、
「たとえイスラエルの民の数が海の砂粒ほど多いとしても、
彼らの中から救われるのは、ごく一部の生き残りです」
(「ローマの信徒への手紙」9章27節)。
話し合いの始めの部分では、
イエス様は御自分を信じるユダヤ人たちに話しかけ、
御自分が本当はどのようなお方か、教えました。
ところが、
ユダヤ人たちはこの教えを否定し、
イエス様を殺そうとしました。
そして、彼らは、
イエス様を信じることにも殺すことにも失敗しました。
(受け入れるにしろ、否定するにしろ)
イエス様を「しっかりとらえること」は、
彼らにとって容易ではなかったのです。