2013年1月28日月曜日

「ヨハネによる福音書」ガイドブック 5章24~29節 御子が御父から受けた任務の核心、裁きの権能



御子が御父から受けた任務の核心、裁きの権能 52429

神様の御子への権能の授与は、たんに形式上のことではありませんでした。
イエス様も、その権能をむやみに振りかざしたりはなさいません。
すべてには明確な目的があります。
すでにイエス様はそれを
「ヨハネによる福音書」316[1]に凝縮してくださいました。
神様がくださった権能の核心は、
人々を裁きと死の下から自由と命へ移すことです。
「ヨハネによる福音書」によれば、この裁きは二通りの仕方で実現します。
それは終わりの時に行われますが、
一方では、
イエス様の御言葉を聴いている今すでに起きていることでもあります。
「ヨハネによる福音書」は、最後の裁きについて多くを語りませんが、
他の福音書同様、そのメッセージは明瞭です。
墓にいる者が皆、大いなる裁き主の声を聞いてよみがえり、
裁きの座へと赴く時がいつかかならず来ます。
そして、
よいことをした者たちは永遠の命の喜びへと、
悪いことをした者たちは永遠の地獄の苦しみへと
裁きを受けることになるのです。

この箇所の背景にあるのは、
「ダニエル書」の壮大な幻(713節、1213節)です。
それによれば、裁き主は「人の子と似た方」です。
これらの御言葉があったため、
イエス様の時代の人々は「人の子」を待ち望んでいました。
ここでイエス様は、
「神の子」なる御自分こそが
預言者を通して予言された「人の子」であり、
万人の裁き主であることを告げておられるのです。

「ヨハネによる福音書」によれば、
裁きは、終わりの時になってようやく始まるものではありません。
御父は裁きの権能を御子にお与えになったので、
厳しい裁きを受けるか、あるいは解放の宣告を受けるか、について、
最後の裁きの時までその結果を待つ必要はありません。
死んでいる人々は、今すでに神様の御子の声を聴いて命を得ます。
私たちとキリストとの関係が、
私たちが永遠の世界でどうなるかが、
すでに今ここで決まります。
キリストが「私たちのもの」なら、
私たちにあるのは死ではなく、まったき命です。
キリストが「私たちのもの」でないなら、
私たちにあるのは命ではなく、まったき死です。



[1] 「神様はその独り子をお与えになったほどに
この世を愛してくださいました。
それは、御子を信じている者がひとりも滅びないで
永遠の命を得るようになるためです。」

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