役人の信仰 4章43~54節
ガリラヤに戻られたイエス様は、皆の注目の的でした。
ガリラヤで受け入れられなかった時期
(「マルコによる福音書」6章1~6節を参照してください)は、
もはや過ぎ去りました。
「ヨハネによる福音書」によれば、
ガリラヤで人知れず始められたイエス様の活動は、
エルサレム訪問の後で一躍脚光を浴びたわけです。
「ヨハネによる福音書」4章46~54節の
カペルナウム在住の役人についての話が、
「マタイによる福音書」8章5~13節および
「ルカによる福音書」7章1~10節に記述されている出来事と
何らかの関連があるかどうか、少し考えて見ましょう。
「マタイ」や「ルカ」では、
この役人は異邦人(ユダヤ人ではない人)ですが、
「ヨハネ」ではそれについて何も語られていません。
この出来事の核心は、
役人がどのようにして信じるようになったか、
ということです。
必死で助けを求めるこの男へのイエス様の答えは、
冷淡ともとれるものでした。
奇跡やしるしなどにはよらず、ただ御言葉に基づいて、
人はイエス様を信じなければならない、というのです。
イエス様が言われたある言葉に、男はしがみつきます。
「信仰」とは、ここでは
「息子は元気になる」という信頼を意味しています。
カナからカペルナウムへの帰途、役人はうれしい知らせを耳にしました。
イエス様が貴い御言葉を言われたちょうどその時刻に男の子は癒された、
というのです。
これを聞いて、その子の父親である役人も、彼と一緒にいた他の者も、
「信じた」のでした。
今や「信仰」という言葉は、前とはまったく別の意味をもつに至りました。
「ヨハネによる福音書」はこれ以上詳説してはいませんが、
私たちは知ります。
イエス様のペルソナと使命とに関わることがらを、
私たちはここで復習することができます。
イエス様は天の父の御子であり、
暗闇から光へ、虚偽から真理へ、死から命へと導いてくださるのです。