2013年1月16日水曜日

「ヨハネによる福音書」ガイドブック 4章1~42節 イエス様とサマリアの女の対話(その3)


 
イエス様とサマリアの女の対話 4142節(その3)

 
 
この対話は、
イエス様が女に御自分がメシア(キリスト)であることを
明かされるところで終わります。
その瞬間から、女には
この光のメッセージをまわりの人々に伝える使命が与えられました。
女が町に出かけて他のサマリア人たちと戻ってくるまでの間に、
もうひとつの話し合いがもたれました。
そのテーマは派遣についてでした。
イエス様は、食べ物がいらないとおっしゃいます。
弟子たちは、またしてもその意味を誤解します。
イエス様の食べ物は、神様の御心を行うことなのです。
御父は御子をこの世に遣わされました。
御子は、派遣された方の望まれることしか行いません。
御父が御子をこの世に遣わされたのとまったく同様に、
御子は弟子たちを派遣されます。
伝道の仕事はいくらでもあり、待っている必要はありません。
当時の人々にとって、
種蒔きと収穫の間の期間を過ごすのは、非常に忍耐の要ることでした。
貧しい農民たちは、毎年のように食べ物の不足におびやかされていました。
しかし、伝道に関しては状況が異なります。
弟子たちは待つ必要がありません。
イエス様がすでに種を蒔いてくださったので、
弟子たちの仕事はその実を収穫することでした。
この御言葉は、
サマリアの女との対話の実の収穫だけではなく、
後の時代にもあてはまるものです。
イエス様の死と復活が宣教される場合には、
そのメッセージのもたらす結果(伝道の実)を、
気をもみながら最後の裁きの時まで待ちつづける必要はありません。
御言葉が心に触れた人は、御子を知るようになり、
瞬く間に死から命へと移ります。
まさにこのことが、
罪人として蔑まれていたサマリアの人々の上に起こったのです。