2013年1月9日水曜日

「ヨハネによる福音書」ガイドブック 第3回目の終わりのメッセージ


 
終わりのメッセージ
  
 
私は堅信キャンプ[1]の牧師をしています。
ある時、「アイスホッケーの世界的な選手になるためには、
私はどうすればよいだろうか」、と若者たちにきいてみました。
青年たちは皆礼儀正しかったので、
「それはとても無理ですよ」、などとは誰も言いませんでした。
その中のある青年は笑ったりせずに、
「先生は少なくとも25歳は若くなければならないでしょう」、
と冷静に答えました。
  
一日に二回練習し、減量し、技術の向上に専念する生活を
自分が送るのを想像することはできます。
しかし、私の人生は後戻りできません。
私はヴィデオテープなどではないのです。
すでに生きてしまった人生を取り戻すことはできません。
  
ニコデモがイエス様の御許を訪れたとき、
「どうすれば私は天国に入れるか」、
というただひとつの問いが彼の心を占めていました。
それに対するイエス様の返答はそっけないものでした。
「あなたは新たに生まれなければならない」、というのです。
しかし、どうすれば私はすでに過ぎてしまった人生を取り戻して、
これまでの歪んだ歩みをはじめから修正していくことができるのでしょうか。
  
ニコデモは他の人々を教える立場にあったにもかかわらず、返答に窮しました。
どうすれば人が再び生まれて神様の子どもとなるか、キリストは語られます。
罪の堕落が起こった後のこの世界は、
光がまったく差し込まない罪と死の袋小路です。
そこには命のかけらさえ見出せません。
神様は、この墓場の静寂を破り、全世界の罪を取り除くために、
キリストをこの世に遣わされました。
キリストの十字架において、死の只中で命が輝きました。
キリストを見る者は、命と救いの幸いを見出します。
  
人は自分自身を新たに生むことができません。
神様は死の只中で命を覚まさせることができます。
人が洗礼を受けて神様の御国の民となり
「キリストのもの」となるところでは、
命が死に勝利しています。
御霊が人に
神様への信頼と神様の家(天国)への憧れをくださるところでは、
霊的に目覚めた人が自分の場所を見出しています。
  
激しい感情の嵐、強い確信、堅い信仰がいつも絶対に必要だ、
というわけではありません。
人が神様を慕うところには、
聖霊様が働きかけて、その人を新しく生んでくださっているのですから。
  
(エルッキ コスケンニエミ)
 


[1]堅信キャンプの目的は、
赤ちゃんの時に洗礼を受けて「キリストに属する者」になった人が、
15歳頃に通うこのキャンプで信仰生活に関わる基礎を系統的に学び、
キリスト信仰者として自立することを助けることにあります。
また、堅信キャンプを通して、
若者は同世代の他の信仰者と友達になることができます。(訳者註)

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