2012年8月24日金曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 第11回目の終わりのメッセージ


  
終わりのメッセージ
   
信仰のおかげではなく
   
  
救いは信仰や純真な献身には依らない、
というのは本当でしょうか。
多くの人は、
「信じなければならない」、
という思いを抱いて歩んでいます。
それはたいへんな重荷です。
信じることを強制する人々は、
よくないことをしているのです。
  
キリスト教の核心は信仰ではありません。
「信じなければならない」
という義務感に取り付かれている人は、
その義務感を投げ捨ててよいのです。
そのかわりに、イエス様を見つめなさい。
イエス様はこのことについて何も要求なさいません。
それどころか、すべてを与えてくださいます。
あらゆる重荷と罪の呵責は、
イエス様の受難の死によってすっかり取り去られているのです。
そしてそのときに、
「信じなければ」
という義務感も取り払われているのです。
人が救われるのは、
その人の信仰のおかげではなく、
イエス様の贖いのみわざのおかげなのです。
信仰は、
イエス様の善き本質の中にすっかり隠れてしまっており、
私自身の目にはそれが見えないほどです。
そして、見ようとする必要もないのです。
私はイエス様の中に罪の赦しを見ているのですから。
  
そこには何の強制もありません。
そこにあるのは、神様の子どもとしての自由です。
  
(ラウリ コスケンニエミ 「今日、私と共にいてください」)

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