小羊の婚礼 19章6~10節(その2)
それから天使は、
「小羊の婚宴に招かれた者はさいわいです」、と言います。
そのような人たちを祝するのは当然です。
彼らは、神様がおられるところ、
それゆえ「よいこと」しかないところにいるからです。
それとは逆に、人は、
もしも小羊の婚宴に招かれていないならば、
不快な苦しみに際限なく悩まされる場所にいることになります。
この点でも、
天国に入った人々は祝されるのにふさわしいと言えます。
彼らは地獄に行かずに済んだからです。
これを聴いてヨハネは、
彼に話しかけた天使の足元にひれ伏して拝もうとします。
しかし天使は、そんなことをしないように、と厳しく制します。
ただ神様のみを拝するべきだからです。
相手がたとえ神様の天使であろうと、
あるいはどれほど不思議な存在であろうと、
彼らを拝むことは許されません。
「エホバの証人」と話し合わなければならなくなったときには、
この箇所のことを覚えておくと役立ちます。
彼らは、「イエスは神ではない」、と言っているからです。
ところが聖書は、数多くの箇所で、
「イエス様の御前にひれ伏して、イエス様を拝んだ」、
という事実を語っています(たとえば、「ヨハネによる福音書」9章38節)。
イエス様はそうするのをお許しになりました。
その理由はひとつだけです。
イエス様は神様であり、そのことを御自分でも知っておられた、
ということです。
イエス様は神様の御子であり、父なる神様と同質のお方です。
それゆえ、神様の御前にひれ伏し拝むように、
イエス様の御前にひれ伏し拝んでもよいし、またそうすべきなのです。
10節では、「イエス様の証は預言の霊です」、と言われています。
これは、神様の預言者はイエス様について証する、という意味でしょう。
神様の預言者のメッセージの核心は、
「何をイエス様はしてくださったか、
何をイエス様は話してくださったか、
私たちにとってイエス様はどのようなお方か」、ということです。
イエス様以外の何かに関心を寄せるメッセンジャーは、
たとえ巧みに話したりすごい奇跡を行ったとしても、
神様の預言者ではありません。
私たちは、イエス様について語られている内容に基づいて、
正しい霊と偽りの霊を見分けることができます。
聖書がイエス様について証しているのと同じ証をするところにいるのが、
正しい霊なのです。