終わりの時の嵐の中ではすべての人々は印を受けている、
というのが「ヨハネの黙示録」の教えであるようです。
「ヨハネの黙示録」は
「神様の印」の他に「獣の印」についても語っています。
つまり、人間はそれぞれ、
「神様のもの」か、あるいは「悪魔のもの」かのどちらかである、
という意味です。
他の第三の可能性は誰にも与えられていません。
「イエス様のもの」として洗礼を受けており、
イエス様を信じる人は、「神様のもの」です。
これはしかし、
人は皆自分の分が「封印」されていて、何の変更も起きない、
という意味ではありません。
神様は、今は「悪魔のもの」になっている人々を、御許に招かれます。
一方では、「神様のもの」である人々が信仰を失って、
「悪魔のもの」になってしまう危険も存在します。
それなら、
なぜ144000人の印を受けた人々について語られているのでしょうか。
もしも「(信仰のために)戦う教会」全体を意味しているのであれば、
そこには確実に144000人以上の人が属しているはずです。
「ヨハネの黙示録」では、
数字は、多くの場合、数自体以外の意味をもっています。
144000という数字は、
神様が御自分に属する人々のことを、
その人数まではっきり言えるほど正確に御存知だ、
ということを語っています。
私たちはそれを知りませんが、
人間の心をごらんになるお方は、御存知なのです。
この正確な数字は、
神様の御計画には秩序と調和があることを、
思い起こさせます。
イスラエルの12部族の一覧表も、それを示しています。
どの部族にも印のついている人々がちょうど同じ数だけいます。
これは、
神様の救いのみわざがその御計画通りに実現していく、
ということを言いたいのでしょう。
まさしく神様が「御自分のもの」として選ばれ召された人々が
救われた者のグループに入っているわけです
(「ローマの信徒への手紙」8章30節)。
一覧表が文字通りにイスラエルの部族を意味している、
という説明には問題があるでしょう。
表にある部族はどれももはや残ってはいません。
これは、すでに「ヨハネの黙示録」が書かれたときにもそうでした。
一部の部族は他の諸国民に入り混じって消えてしまいました。
そう考えると、この一覧表には、
印をつけられたユダヤ人部族とその数とは
何か別のメッセージが込められている、
と考えるべきでしょう。
「神様のものたち」は
終わりの時の最後に来る最悪の災いを被らずに済む、
と教える聖書の釈義者たちもいます。
それらの災いがやってくる前に、
「神様のもの」である人々は天国に連れ去られるからだ、
と言うのです。
しかし、
聖書にはそのような約束は書いてありません。
神様の民は悪の世界の只中で終わりまで生きて戦いつづけるのです。
神様は、
御自身が私たちと共にいて私たちを守り助けてくださる、
という約束をくださっています。
このことを知っておけば、
これからどんなことが起ころうとも、
私たちは安心していることができます。