2011年11月10日木曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 3章1~6節 サルデスの教会への手紙(その2) 

 
サルデスの教会への手紙 3章1~6節(その2) 
  
  
イエス様は教会の目を覚まさせようと、
今のような状態が続けばどうなるか、忠告なさいます。
いつか必ずイエス様は栄光に包まれて地上に再臨されます。
そして教会は、もしもその時に眠りこけているなら、
不信仰な世と同じ裁きを受けることになります。
それゆえイエス様は、「悔い改めるように」と教会に命じられるのです。
目を覚まし、今までの生き方を変えて、
神様の教会が本来歩むべき道へ戻るように、と。
この道における信仰は本物であり、生活にも影響を与えるものです。
 
サルデスには「その衣を汚さなかった」者たちがまだ何人か残っていました。
清潔な衣は、洗礼で私たちがいただいたもの、
私たちがイエス様を信じるときに「自分のもの」となるもの、
すなわち、洗礼の恵みに結びついた信仰をあらわしています。
洗礼において私たちはキリスト御自身を着せていただいた、と聖書は教えます
(「ガラテアの信徒への手紙」3章27節)。
キリストを着せられた者として私たちは、
神様が受け入れてくださるのにふさわしい者となります。
この「衣」がなければ、
神様は私たちの汚さをごらんになって、
聖なる裁きを私たちに下されるのは確実です。
サルデスの教会の大多数は、
おそらく知らず知らずのうちにイエス様から離れてしまっていたのでしょう。
そうして、自分たちの衣を汚してしまったのです。
それに対し、ごく一部の人々は救い主を信じつづけていました。
彼らの上には、
天国の神様の御許でも受け入れていただけるのにふさわしい衣が
ちゃんと着いていたのです。
   
5節でイエス様は、事がどれほど重大か指摘なさいます。
天国の書物には洗礼を受けた者皆の名前が書き込まれています。
しかし、洗礼を受けた人が主から離れ去る場合には、
その名前は天国の書物から消し去られてしまいます。
天国の書物にその名前が記されていない人は、いずれ窮地に陥ります。
最後の裁きの時に、イエス様はその人を「御自分のもの」とはお認めになりません。
これはその人に起こりうる最悪の事態です。
それに対して、天国の書物の中にその名前が見出される人には、
大いなる約束が与えられています。
イエス様はその人を知っておられ、
その人には天国の門が開かれることになります。